会報誌「ともに」横浜だより

19.7.13 No.48

2018年入管法改定と日本社会在日大韓基督教会 在日韓国人問題研究所<RAIK>顧問 佐藤信行
 昨年11月、政府は新たな移住労働者受け入れのため、在留資格「特定技能」の新設と、法務省外局としての「出入国在留管理庁」の設置を図る改定案を国会に提出しました。これは十分な審議を経ることなく12月8日、国会で成立し、今年4月から施行されました。また政府は12月25日、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を決定し、法務省を中心に厚労省・総務省・経産省・文科省・外務省・警察庁など関係省庁で立案・実施作業が始まりました。これは、1999年の入管法改定、2009年の外登法廃止・入管法改定に次ぐ大改定であり、「新たな2018年入管体制」と言うべきものです。
 移住者と日々接している現場から、この「2018年入管体制」を考えてみます。
 2011年3月11日の東日本大震災からすでに8年3カ月が経ちましたが、私は今でも月2回、3回、4回と、被災地に行って、外国人被災者、とくに移住女性の支援を行なっています。東北の被災地の農村・漁村には、日本人男性と結婚し永住している中国人女性やフィリピン人女性たちが、広く点在して暮らしているからです。
 福島県では、大震災と福島第一原発事故によって県内総人口がこの9年間で16万人減少する一方、県内の外国人数はここ4年間で4,000人も増加しました。県内の地場産業で働く外国人技能実習生が急増したからです。
 今年3月、福島県内の労働組合から突然、電話がありました。工場で働くフィリピン出身の技能実習生二人が駆け込んできた、彼らが給料遅配に対して工場に文句を言ったら、解雇と寮退出を命じられたという。組合としては工場に団交を申し入れるが、二人とも日本語が十分ではないので通訳を探してほしい、という依頼でした。あまりにも急な話なので困惑しましたが、急きょ東京からタガログ語の通訳を派遣することにしました。これは福島だけの事例ではなく、全国各地でいま起きている事態なのです。
 4月、福島県の中国人女性グループから電話がありました。中国人の小学5年生の子どもが学校でイジメにあっているが、学校も村の教育委員会も対処してくれない、という。そこで、子どもの両親、中国人グループと支援者に急きょ集まってもらい、話を聞きました。そこで分かったことは、昨年4月、福島県白河市に隣接する村で仕事を始めた中国人の両親が、A君を中国から日本に呼び寄せ、地元の小学校に入学させようとするも、日本国籍を持っていないことを理由に正式な在籍を断られ、「体験入学」として通うようになった。しかも、そのうちA君がクラスでいじめられるようになった。日本語が十分に話せない両親に代わって、その学校の日本人保護者が見るに見かねてそのことを校長に伝えたが、「いじめに関してはA君にも悪いところがある」として是正されなかった。そのため、その日本人保護者は、村の教育委員会にも訴えたが、そこでも聞き入れられなかったというのです。
 問題は、そもそも小学校が中国人A君の入学を認めず「体験入学」とさせたこと、また、来日間もないA君に日本語指導員を付けるべきなのに、学校も村の教育委員会も全くしなかったこと。さらに、外国にルーツをもつ子ども、とくに日本語が十分ではない子どもに対するいじめに対して、学校も教育委員会も、その背景を含めてしっかり事実調査をしようともしなかったことです。
 すでに日本で暮らしている外国人住民は、273万人以上となり、その出身国数も190カ国を超えています。また、帰化あるいは国際結婚から生まれた子ども、これら外国にルーツをもつ日本国籍者は、少なくても160万人以上となります。つまり「外国にルーツをもつ人びと」の総計は440万人になり、今や日本は「移民社会」なのです。
 それにもかかわらず、日本の国家は「移民政策」も「多民族・多文化政策」もとろうとしていません。その無作為のつけは、これら外国ルーツの440万人に押し付けられています。その結果、外国人数1万人前後のいわば「外国人過疎地域」である福島県内の事例からも分かるように、過酷な、悲惨な状況が生まれているのです。
政府がいくら否定しようとも、すでに日本は「移民社会」であり、「多民族・多文化社会」なのです。日本社会は、それにふさわしい法制度を早急に整えなければならないのです。
 移住者と連帯する全国ネットワークは今月、「移民社会20の提案」という小冊子をまとめました。これは20項目にわたって人権NGO、弁護士、研究者が分担執筆し、激論を重ねてまとめた市民社会からの提言です。ここにはまた、私たち日本人ばかりではなく、在日コリアン三世、そして若き移民二世の研究者も共同執筆に参加しました。ここに希望があり、大いなる可能性があります。
高校生ができることとは?信愛塾ボランティアスタッフ 山岸笑璃
 私は3月に神奈川県友好都市高校生派遣事業の代表生徒として、アメリカメリーランド州に行ってきました。グローバル人材育成のためのプログラムで、神奈川県内の高校に通う10名が選出されました。選考には、これまでの経歴や、アメリカでしたいこと、今後についてなどの自己PRのほかに、「アメリカでディスカッションしたいこと」というテーマが問われました。そこで、私がテーマにしたのは、「日本語を母語としない人に私達高校生ができること」ということでした。
 私が、多文化共生について興味を持ったのは、高校1年生の時でした。夏休み、たまたま聞いた竹川さんのお話の中で登場した「夏休みは戦争」という言葉が忘れられず、信愛塾でボランティアを始めました。始めた当初は、外国にルーツを持つ子どもたちという存在、そして、言語が原因で困っている人の存在は自分からは遠いものだと思っていました。子どもたちと関わっていても、中国語の「謝謝」の発音を教えてもらったり、その他の言語が聞こえてきたりすることはあっても、会話や、行動は自分の小学生や中学生の時となんら変わりがなく、楽しい時間を過ごしていました。
 高校2年生の春、言語が原因で困っている人が身近にいることを知りました。私の高校では、在県外国人特別募集枠(入国後、在留期間が通算3年以内の人/外国籍を持っている人、又は、日本国籍を取得して3年以内の人)という制度があり、毎年6人の外国にルーツを持つ生徒が入学してきます。そして、その制度が導入されたのは、私たちの期が初めてでした。6人は、2クラスに分けられ、彼らがいるクラスは「在県クラス」と呼ばれています。私は、高校2年生の時から、「在県クラス」になりました。
 彼らとは、2年生になる直前、校外で行われた「多言語・多文化 演劇パフォーマンス合宿」で一緒に過ごしていました。教室を移動するとき、手を振り合ったり、遠足のバスの座席を近くしたり、良き友人の一人として関わっていました。しかし、彼らと一緒に学校生活を過ごしてる中で、彼らを取り巻く様々な問題が見えてきました。
 それらは、言語の壁です。彼らの中には、未だに日本語を話すことにコンプレックスを抱えてる人もいます。分からなくっても言えず、提出物が出せなかったり、集合場所が分からなかったりしていました。その状況を見て、どうにかしなくては、と思いました。
 しかし、最初は、やり方が分かりませんでした。そこで、私は、積極的なコミュニケーションをとるようにしました。ホームルーム時間で困りそうなものを見つけると、「大丈夫?」と声をかけるようにしました。ルビのふっていないプリントは、重要なところを一緒にルビふりをしました。しかし、先生の話で分かるだろ、私の身勝手な判断基準のせいで満足にサポートすることができませんでした。私からしか話しかけない生活に、嫌われているのではないかと感じることも多くありました。
 そんな状況が半年ほど続きました。しかし、めげずに自分からコミュニケーションをとっていくうちに徐々に彼らから話しかけてくれるようになりました。分からないことを質問してくれたり、「調子どう?」っと声をかけてくれたりするようになりました。話すのが苦手な友達からはLINEのメッセージで質問が来るようになりました。まだ、満足なサポートではないかもしれなません。でも、2年生の春より困っている彼らを見ることは少なくなりました。
 しかし、ここで満足してはいけないと思いました。もっといい方法があるのではないか、と思うようになり、多文化社会として知られるアメリカで学びたいと思いました。そして、もっといい方法を確立して、今後の社会や生活に活用したいと思い、「日本語を母語としない人に私達高校生ができること」というテーマにしました。
 アメリカの生活で初めて、英語を話すことへの恐怖というものを知り、ノーネイティブスピーカーの気持ちを初めて知った気がしました。私は、アメリカの高校でテーマに関してのプレゼンテーション・ディスカッションを行いました。質問されたことにしっかり返答しなければという思いが、間違えてはいけないという恐怖心へと変わっていきました。プレゼンテーションの中で相手の立場に立ってと言っていたのにできていなかったのは自分だと痛感しました。また、サポートの仕方についてまだまだ至っていなかったことを痛感させられました。
 また、アメリカの多文化共生について触れることもできました。私のホストファミリーは、メキシコ人でした。ホストグランマー、ホストマザー、ホストファザーはスペイン語しか話しませんでした。しかし、不自由なく生活をすることができる社会があることを知りました。ホストシスターやブラザーは学校で英語を話していました。学校に行くとバイリンガルの比率が多いことにも驚きました。
 アメリカに行っても、いいサポート方法は分かりませんでした。しかし、自分がノーネイティブスピーカーの立場に立てたことは大きな収穫だと思います。そして、これからも悩み、探し求めながら、いいサポート方法を見つけていきたいです。そして、いつか、言語が原因で困ることがない社会、日本に住む誰しもが平等に生活を営み、仕事をし、教育を受けれる社会になるように自分にできる範囲で貢献していきたいです。
信愛塾につながって信愛塾ボランティアスタッフ 高本由美
 私が信愛塾で学習支援ボランティアをさせていただいて1年になります。月に2度の奉仕ですが、とても濃い時間を過ごさせてもらっています。2時40分頃こどもたちは三々五々やって来るのですが、「お帰りなさい。」の声で、竹ちゃん始めスタッフのみんなが子どもたちを迎えます。外国につながる子どもたちで、今私が会っているのは、ネバール、フィリピン、中国の子どもたちです。とにかく元気。萎縮したり、いじけたりしていません。子どもの元気そのものです。この信愛塾では、子どもたちが、自分がありのままで受け入れられているという安心感があり、居場所があると感じているからだと思います。
 落ち着いてすぐ勉強に取り掛かれる子や、勉強が嫌で机の下に隠れる子や、学校で何か嫌なことがあったのか、こわばった顔でやって来て、でもいつの間にか元気を取り戻している子や、好きな絵だけ描いていたい子や、集中がすぐ切れてしまう子や、本当に色々です。宿題をまず済ませ、それから音読が始まります。はじめ、たどたどしい読み方だったのが、少しずつ上手になっていきます。語学はまずしっかり音読すること。よい姿勢で、大きい声で、正しく音読することの成果は大きいと思います。
 学期の初めということで、4月にこどもたちもスタッフも短冊に一言ずつ、誓いの言葉を書きました。以下にまず子どもたちの文を紹介します。「毎日信愛塾で音読をする。」「時間を大切にする。」「一日一日、楽しくすごそう。」「漢字をもっときれいに書く。」「友達がいっぱいできますように。」「漢字検定で100点をとる。」「算数をがんばる。」「国語をがんばります。」「いっぱい絵をかく。」「代表委員会がんばろう。」「がんばって宿題をやる。」「割り算の性質をがんばる。」「しあわせの2019年にしたい。」―がんばりたい決意、楽しく過ごしたい思いが伝わってきます。こどもたちは本当に真面目です。読むたびにほほえましくなります。
 次にスタッフの言葉です。「病気にならない。」「一日一日を大切にする。」「笑顔をたくさん作ってあげたい。」「本読みを子どもとがんばる。」「一日一歩二日で二歩。」「喜びの顔が見られるように。」「みんなでいっぱい歌いましょう。」―まず、病気にならないで、しっかり子どもたちと向き合いたい、着実に進歩できるように、子どもたちの笑顔こそ宝、一日一日を大切に、歌う喜びを一緒に、というこどもを見守る大人たちの思いが書かれていました。ちなみに私は「学び続ける一年に。」と書きました。子どもたちのエネルギーに圧倒されながら、成長を見守り、私自身、学び続けて信愛塾につながっていたいと思います。