会報誌「ともに」横浜だより

19.9.10 No.49

その子ども信愛塾スタッフ 福島周
 私が信愛塾に通い始めた3年前からコミュニケーションを重ねてきたある子どもがいる。その子はとても素敵な絵を描いていた。アニメやゲームのキャラクターが描かれた小さな絵であったが、そのキャラクターたちとその子が作る世界が小さな紙に詰まっているように思えた。
 国際結婚をした両親の元に生まれ、1年生の時から信愛塾に通っている。成績は良いとは言えないが真面目に宿題をやり、追加で与えるプリントも喜びはしないがちゃんとこなしている。周りの子どものことを気にかけ、大人の顔色を伺っている。そして一緒に勉強をしたり遊んでいると、そっと手に触れたり身体を寄せてきたりする。優しくて寂しい子どもである。
 半年くらい経った頃、「先生、今日一緒に帰れる?」と聞いてくれたことをキッカケに、1~2週間に1度、一緒に帰るようになった。別れ際、その子の背中越しに見える台所には食べかけのご飯、洗い物、調理器具などが雑多に積まれている。家族が過ごす部屋にも物が積み上げられていて、一畳分くらいのスペースしか空いていない。そこで家族で過ごしているのである。そしてその状態がもう何年も続いている。
 出会ってから3年がたち、背は少しずつ伸びていっているが横幅は変わっていないように思える。他の子どもと比べても明らかに細い。学校が終わってから信愛塾に来るので給食を食べているはずだが「お腹が空いた」と言うことが何度もあった。聞いていくと朝食を食べていなく、夕食がコーンフレークという時もあった。どうやらお母さんがダブルワークをしていて余裕がなく、朝・夜ご飯を用意できないことがあり、自分でコンビニにご飯を買いに行くこともあると話していた。信愛塾ではお菓子やインスタント食品を渡すなど、最低限の支援ではあったが飢えだけでも凌げるように支援を行っていた。今年の1月からキッズレストランからご飯を支援していただけるようになり、2週に1度、こちらからご飯を取りに伺い、子どもに提供している。それだけの回数にしているのは保護者の自立が前提としてあるからだ。支援が始まったことでその子の体格が良くなったということはない。それでもみんなで出来立てのご飯を囲んで食べることは、お腹を満たすだけでなく心も満たす時間や経験なのではないだろうか。
 その子がこの先中学に進み、高校に進学し、部活やバイト、そして恋愛もして、その時々の悩みを抱えながらもまっすぐに進んでいってほしいと願う。だが歩んでいるのは道ではなく、ちょっとしたことで転落しかねない細い綱のように感じる。希望を抱きつつも不安なイメージがつきまとう。その子だけではない。手からこぼれ落ちかねない子どもたちが他にも多くいる。それは国籍に関係なく起こりうることだが、外国につながるが故にその可能性は高くなってしまう。
 子どもたちは出会った大人に大きく左右される。当然良い方向に転ぶ可能性もあるがポジティブな意味で捉えられないのが現状であり、そもそも確率によって語られてしまうのは間違っていると思う。しかし個人では支援できる絶対数に限度がある。組織にもムラがあり、システムはそう簡単に変わらない。であればこそ、例えば教員や自治体の関係セクションの職員、民生委員や自治会、もちろんそのような職務についていなくても良いと思う。顔の見える理解者と協力者を少しずつでも増やし、地道に丁寧につながりを広げていくことが必要だ。それがやがて「地域で支える」という言葉を指すようになることが理想ではなかろうか。
 1年先、5年先、さらにその先を見据えて子どもたちの「生きる力」と「学ぶ力」が伸びるよう話し合い、向き合っていけるのが信愛塾だ。その子のゴールはいつなのか、ゴールが何なのか。信愛塾の環境を最大限に利用し、ゴールとそこまでの道をその子と一緒に歩んでいきたい。
私の中の気づかぬ偏見信愛塾ボランティアスタッフ 横川蓮奈
 生まれたときから、どんなに良い選択をしたとしても生きていくのに困難な状況は変わらない。そんな子どもたちが気になります。関わりたい、もっと深く、もっと近くで。
 私は高校二年生だった去年の11月、国際協力に憧れ、卒業論文のテーマとして「国際協力と偽善」に取り組んでいました。その時、たまたまインターネットで信愛塾の名前を知りました。すぐに「国を超える助けの一つとして在日外国人支援に関心があるからボランティアをさせて欲しいのですが」と信愛塾に電話を掛けました。いただいた返事は「いらっしゃい」というものでした。それから半年以上関わらせてもらっています。その半年間は、自分の無意識にあった価値観と向き合わされ、再構築していくような時間でした。
 信愛塾に行く前、私が在日外国人の子どもたちのことで知っていたのは、複雑な家庭環境や貧困に置かれていることが多い「社会的弱者」と言われる立場にあるということでした。その子どもたちに何が私はできるのか。そう考えて、初めて行った12月25日、私は「私との違い」や「貧困の差」を感じさせることがないように意識的に洋服やイアリングなどの装飾を飾らないで行き、バイオリンを習っていることも意識的に話さないようにしました。しかし、その日、私と年が近いフィリピンの女子高校生二人と中学3年生が参加しており、普段の私と同じような服装やアクセサリーをつけて私がクラスメイトとするような話題で盛り上がっていました。
 次に行かせてもらった時、偶然にもバイオリンを信愛塾に持って行くと子どもたちは興味津々に楽器を弾いてみたりしました。私の気遣いは必要ないことだと気が付きました。それは私にとって信愛塾の子どもたちが「社会的弱者」という認識しかなかっために生じた差別といえるのではないか。ニュースや情報機関では社会的弱者と表現される彼らに対して、私はメディアから受ける固定概念でしか動くことができませんでした。「もっと近くで」とは私自身の偏見を超えるためです。
 自分が心から楽しんで子どもたちと遊ぶことが大事だと思い、二回目からは純粋に高校生として楽しむことを優先しました。意識的に彼らを「社会的弱者」としてではなく、自分と同じ「子ども」という認識に改めると、とても楽で行きやすくなりました。しかし、また何か月か過ぎた後、それではなぜ自分が信愛塾に行くのか疑問が沸いてきたのです。
 それは私がイベントに参加した際、竹川先生はスタッフに、今深刻な案件を抱えているため危険な人が突然来てしまう可能性がある。自分の身は自分で守るように、と言いました。自分には非現実的に聞こえました。しかし、自分が和気あいあいと遊んでいた子どもたちも何か悩み、問題を抱えていることがあります。それは在日外国人という人だからではなく、日本国籍がない、日本語が話せないと保護されにくいなど外国人を取り巻くこの環境があるがゆえに在日外国人は特別なのです。私はそれを「社会的弱者」という概念を消したせいで、必然的につきまとう問題さえも目を背けてしまっていました。
 何が偏見で、何が偏見ではないのか。それを自分が知ることができるのは、近くで関わっていくことの中からしか見えてこないと思います。しかし、私にとって苦労している子どもたちは社会の中で埋もれて簡単に見えなくなってしまう存在です。今は信愛塾がつなぎ目のように繋いでいてくれています。
 本当に子どもたちといるのは非常に楽しいです。鬼ごっこをしたり、妄想話を膨らませたりと楽しいのですが、大変なときは気づいて何か手を差し伸べることができる、そんな人になれればと信愛塾と関わりながら強く思うようになりました。
 来年の3月、私は高校を卒業します。卒業後、生まれながら生活するのが大変な子どもたちの社会的不平等に取り組みたいと考えています。そんな現状と関わり、変えていけるように勉強をしながら、信愛塾ともっと関わっていきたいと思います。
一年を振り返って学び直し教室 受講生
 私は一年前から信愛塾で勉強を教わっている。福島さんに、もう一年になりますね、と言われてエッと思わず言ってしまうほど、本当にあっという間だった気がする。週に一回、一時間だから無理もないのかもしれないけれど。
 それにしても自他共に認める三日坊主の私が一年続くとは確かにビックリだ。信愛塾で教わる前は九九が苦手で、どうしても全て言えなかったくらいだったけれど一年続けて一応九九は言えるようになった。たまに間違えるけれど。今は「単位」にとにかく苦戦している。でも私の中で九九はかなり大きな壁だったけど、なんとか超えられた。今度の壁は「単位」だ。頑張って超えなきゃと思っている。
 私は今迄の人生で勉強をしてきたことが一度も無いから、何をどう勉強すればいいのか、自分が何が分からないのかが分からないほどだ。そんな私だからきっと人の何倍も時間はかかると思うけど、勉強している自分は嫌いじゃないというか、努力して少しでも結果が出るのがやっぱり嬉しい。今迄一度も味わったことがなかったからだ。
 この一年で勉強の他に学んだ事は“とにかくやってみる”という事だ。見たいもの、行きたい場所、やりたい事、興味がある事はとにかくやってみる。何か問題が起きたらそのときに考える。必ず解決方法はみつかるはずだからと背中を押してくれた人がいた。そのお陰で何年も前から行ってみたいと思っていた広島に行く事ができたし、映画を観に行ったり好きな俳優さんの舞台も観に行って来たり、なるべく自分の時間を大事にしている。今迄は些細な事だけど、何かをしたいと思っても、家族に迷惑をかけるんじゃないかなと我慢する事が多かった気がする。多分、そういう意味で私はこの一年が今迄で一番、自分の時間を大事にして過ごしてきたと思う。この事に気づかせてくれた人に感謝しています。
 思えば勉強をちゃんと学びたいと思った時から自分の時間を大事にしていたのかもしれない。これからも自分の時間を大切に過ごしていきたいと思います。