会報誌「ともに」横浜だより

20.7.8 No.54

バングラデシュへの父子(おやこ)旅アブドラ・ラシド (聞き手:大石文雄)
 信愛塾理事のアブドラ・ラシドさんがバングラデシュへ帰省したと聞き、最近のバングラデシュ事情や故郷への想い、旅の感想などを聞いてみました。バングラデシュと言っても日本ではあまり知られていないこともあり旅の写真や地図なども入れて紹介します。

Q:新型コロナ感染が拡がる前にバングラデシュに行けて良かったですね。
−Y(息子)が就職するので、ぜひ一度、連れていきたかったのです。(日本生まれで母が日本人の)Yは(父の国である)バングラデシュに行ったことがなく、父母の墓参りや兄弟姉妹・親戚にも紹介したかったのです。

Q:まず初めに聞いておきたいのはアブドラ・ラシドさんが日本にやってきたきっかけは何でしたか?
−留学生でした。35年も前になりますが、最初は日本語学校で2年間、そのあと専門学校で学び卒業後、社会人となりました。当時バングラデシュでは日本というとホンダとかヤマハとかが有名で、ブランド名が日本のイメージそのものでした。

Q:今回はどこをまわってきましたか?
−実家があるダッカ市内から南東部に位置するノアカリ、チッタゴン、そしてダッカに戻ってきました。ノアカリは40年前に行ったことがあり、当時は電気もなくローソクで生活しているといった田舎でした。道路も砂利道だったし、乗り物もなくみんな歩いて市場まで通っていました。今回行くとアスファルト道路ができていて、当時人々は池で身体を洗っていましたが、今はみなシャワーで洗っていてとても驚きました。バングラデシュの田舎も相当変わってきました。そこに親戚の人が学校を作ったので見に行きました。イスラム教の学校で生徒たちが寝泊まりする寄宿舎のような所です。モスクもあり勉強もできる、貧しい人を助けるための施設です。そこは昔、車も行かないような所でした。
 チッタゴンはバングラデシュ第2の都市で港もあり海やビーチもあり有名です。フェイズレイクという遊園地(日本のディズニーランドのような所)にも行きました。それからダッカに戻り郊外にあるラルバーグフォート(独立戦争を記念した史跡)にも行きました。

Q:久々にバングラデシュに帰って感じたことや印象を聞かせてください。
−僕が日本に来た時と今のバングラデシュとでは考えられないほど大きく変わりました。衣服は手洗い、ご飯も釜で炊いていました。今は電気炊飯器ですが、テレビもあり洗濯機もあり日本と変わらない生活をするようになってます。スーパーやデパートも今は当たり前ですが当時はなかったのです。ウーバータクシー(スマホで呼び出せばきてくれる)もあり、タクシーより安いです。リキシャ(自転車の後部に座席を取り付けたもの)もあるけど遠いところはウーバーを呼んで使っています。近いところはリキシャを使っていますが、車の数が増えて渋滞がひどいです。首都高速もできていますがまだまだ足りません。それができていけば渋滞も減ると思います。今、(ダッカ市内に)日本の援助でモノレールが作られていて、あと2~3年で開通すると言われています。これができて交通渋滞が解消されるのを多くの人が期待しています。

Q:バングラデシュの経済発展をどのように感じましたか?
−経済発展はすごいです。今、仕事(雇用)が増えていて、縫製工場も増えました。出稼ぎの女性たちがアパートを借りて大勢生活しています。女性も昔は主婦が多かったのですが今は社会人として働き、男女平等も進んできつつあります。
 貧富の格差もすごいです。親戚の人がセラミック工場を経営していて見学に行きました。
従業員を1800人も使っていて陶器のお皿なども作っています。別荘に行って一晩止めてもらいましたが、広い農場に牛を飼っていて、池を作ったり、いろいろな動物を飼ってミニチュアの動物園のようでした。バングラデシュの貧富の格差は想像を絶するものです。

Q:では今どのような問題が起こっているのですか?
−問題は政治です。インドの品物がいっぱいバングラデシュに入ってきていてそれをバングラデシュの人々が好みません。与党(アワミ連盟)がインド向きだからどうしても入ってくるのです。バングラデシュ国民がインドと仲良くしたがらない。それは国内にインドの人が入ってきて働く人が増えているからです。働く人の中には官僚や議員も含まれていてそれをバングラデシュの人々が好まないのです。カルカッタ(インドに属している)の人もベンガル語なので、上級の仕事にまで進入してきており人々は反発を感じているのです。

Q:家族や親戚との再会はどうでしたか?
−母は4年前に亡くなってしまいましたがYを連れて行ったので、兄弟姉妹たちがみな集まってくれて、まるでお正月のような雰囲気でした。みんながYに気を使ってくれました。「バングラは好きかい?」「気に入ったか?」「また来たいかい?」「バングラに住みたいと思うか?」というような会話でした。兄弟姉妹たちに会って食事をするとき、あまりに人が多くてコックさんを呼んでもらい、大きな鍋で100人ぐらいが食事をするようなこともありました。そしてお父さんとお母さんのお墓参りもしてきました。インドでは火葬が多いのですがバングラデシュでは土葬が主です。
 ダッカは人が増えていて、住むところがなく、家賃がとても高く、土地の値段も日本と変わらぬくらいに高くなっています。不動産屋が間に入ってできた建物は、半分は不動産屋が持っていき半分を本人が所有する、そんな形態が増えているのです。

Q:Yくんはバングラデシュをどんな風に感じたんでしょう?
−いろいろ歩いて回って人々の暮らしなど見て「日本も昔こんな感じだったよ」とよく言ってました。生ごみを外に捨ててしまう(自分の家の中を綺麗にすればいいというところもあって)ので「道が臭い」とも言ってました。

Q:アブドラ・ラシドさんはこれからも日本で暮らしていくと思いますが、将来についてどのように感じていますか?
−兄弟姉妹に会って、これから歳をとってきたらどうなるのだろうかと考えました。今の気持ちはどこで死ぬか分からない。いつか戻りたいという気持ちもあるけど、医療(制度も)も(整って)ないので心配です。骨をどこに埋めるのか?最近それを考えるようになりました。お兄さんたちは「そろそろ帰ったほうがいいのでは」と言ってくれますが...。解決できない不安を抱えています。

Q:バングラデシュをアピールするとしたら?
−とにかく自然が豊かです。私たちから見ると日本人は冷たい、自分の事だけ、と感じることもあります。バングラデシュは穏やかで仲良く話したり、ホームパーティもよくあります。人口密度が高い(北海道二つぐらいの広さに1億6千万人が居住)。季節(四季)もあり、赤道よりも北で、熱帯ほどには熱くなく、ハリケーンもよくあります。日本は外に出ても静かですが、バングラデシュはみんなが外に出て活気があります。日本は年寄りが多いけれど、反対にバングラデシュは若者や子どもがものすごく多く、風景が全く違って見えます。都会よりも田舎の方が自然があり美しく、若者は都会に集中し年寄りは田舎に残ってしまうのは日本と同じです。外貨が入ってきているので昔と比べると生活はよくなっています。島村の洋服を買ったらメードインバングラデシュと書いてあって驚きましたが、縫製工場は5千ぐらいもありユニクロも30店舗あります。失業者もいますが昔と比べると減っています。職を選ばなければ働き口はあるという感じです。35年前は公務員の仕事しかなかったのですが今は一般企業も増えてきています。

Q:日本とバングラデシュとの関係で感じたことは何でしょう?
−バングラデシュの人は日本のことをすごく好きです。ODAで橋を作ったり道路を作ったりする。それも長持ちして壊れないので評判がいいのです。今は円高で、欲しいけれどなかなか物が買えない状態なのです。バングラデシュでは子どもから大人までみな携帯を持っています。携帯料金は毎月払うのではなく店に行ってチップを買って使っているのです。それがあるので携帯が維持しやすいのです。昔と違ってコミュニケーションが盛んになり、世界情報も得ることができます。ラインを使って国際電話やテレビ電話もやっています。日本製品の方が人気があるのですが、中国製品の方が安いのでみんなが使っているのです。
 Yをいろいろなところに連れて行って、バングラデシュを好きになってくれるかなと気にしてました。僕が一緒に行かなくても一人で行けるようになってくれるといいなと思っていたのです。Yは「思った以上に良かった」と感想を述べてくれました。

Q:最後に困ったことなどあれば一言。
−困ったこともありました。飲料水が怖かったけどエビアンがスーパーで売っていたのでそれを使いました。食事は何を食べてもカレー味だったのでYから「毎日同じなの?」と聞かれました。Yが来たので(家族が)イスラム教のしきたりで山羊二匹を殺して多くの人にふるまってくれました。貧しい人と分かち合う行事です。一番つらかったのは交通渋滞です。一時間で行けるところが三時間かかったりして、渋滞でせっかくの時間が奪われてしまったことでした。

Q:有難うございました。この話で多くの人が少しでもバングラデシュを身近に感じてくれるといいですね。
最近気づいた事信愛塾ボランティアスタッフ 横川蓮奈
 信愛塾に一歩入ると飛び込んでくるのは、いろんな言語、いろんな習慣、いろんな国をルーツにもつ子どもたちです。そう、そのグチャグチャ感は私を心地よくさせます。
 そんな私にとって嬉しいことは、最近日本各地にいろんな国の人が暮し、日本全体がぐちゃぐちゃしてきたことです。しかし、私は素直に喜ぶことができません。信愛塾には外国人だからという理由で苦労している大人や子どもがやってきます。中華街でのヘイトスピーチもまだ記憶に新しいです。実際は混じっているから皆心地いいというわけではないのです。
 なぜでしょう。考えると、確かに信愛塾はぐちゃぐちゃですが、そこには、どの文化も違いも決して誰も否定しない、そのまま受け入れることから始める、というみんなの「当たり前」が存在します。だから、子どもたちもそこでしか見せない表情があるのでしょう。心地いいグチャグチャには、それなりの理由があるのかとそれから考えるようになりました。
 私はこれから台湾に留学に行きます。台湾は、400年まえから様々な国による統治が繰り返されたため、世代ごとに教わった国語が異なり、民族も多岐にわたっています。小さな島一つの島には信じられないほど様々な文化や人が密集しています。 
 どんなに多くの異なる点があっても、どうすればそれぞれの人たちが安心を感じて伸び伸び生きられるのだろうか、、、台湾にはそのヒントが隠されているように思います。信愛塾では子どももスタッフも関係なくお互いをそのまま受け入れており、それは一つの鍵であると感じました。台湾に行けば、いろんな人が一緒に暮らすのに何が大事なのか、さらに分かるのではないかと思っています。 
 私は本当に単純にグチャグチャが好きです。なぜ私がこれほどグチャグチャという言葉にこだわるかというと、「混ざる」や「一緒になる」などは、いろんなものが入った結果均一なものになります。しかし、グチャグチャは、その構成物が一つ一つの姿のままで在ることができます。見ても見ても見飽きず、目を凝らしてもよくわからない、そんな楽しいところが出来上がるのです。日本はもちろんの事、これからさらに世界中で人の行き来があると思います。その時同時に、私が好きなグチャグチャの空間が世界に増えていくといいなと願っています。そのために、私はこれからも信愛塾や台湾に関わり、心地いいグチャグチャの鍵を探っていきたいと思います。