会報誌「ともに」横浜だより

20.9.8 No.55

子どもたちの笑顔のために「ウィズ・コロナ」で大切なこと大学教員(国際人権法学・平和学)・横浜市国籍条項撤廃連絡会代表 藤本俊明
 「私はアスリートである前に黒人女性です…これは人権の問題です」
 今年5月アメリカで起きた白人警察官による黒人殺害事件を契機とした人種差別に対する世界的な抗議運動の中で発せられた日本人テニス選手大坂なおみさんの言葉である。
 “Black Lives Matter(これは黒人の命の問題だ)”を掲げるこの抗議運動は、長く続く黒人に対する人種差別の撤廃を求め、現在も世界的に継続している。このBLM運動と大坂選手の言葉は、「ウィズ・コロナ」と言われる世界を生きる私たちに最も大切なことを伝えている。2,600万人を超える感染者(9月4日時点)、医療従事者を含む関連するさまざまな職種に就く人々への影響、失業の増加を含む経済不況による貧困の拡大、多くの人々のメンタルヘルスへの影響など、「パンデミック」の影響は計り知れず、まさに歴史的な事態の中を私たちは生きている。ただし、憂慮すべきは、世界が単なる「パンデミック」にとどまらず、「パニック」に覆われることによって、私たちが生きていく上で最も大切なことまでも見失いつつあることである。日本国内のある小学校の昼食の様子は、その「パニック」を象徴しているように思える。透明なシールド(仕切り)が教室全員の机の前方と両側に付けられ、周りの子どもたちとの会話もない沈黙の食事。私たちは、このような人間性の喪失ともいえる場面を数多く目にしつつある。「感染拡大から命を守るためにはやむをえない」という言葉は、もっともな指摘のように聞こえる。では、食に限らず文化や芸術など、人間としての営み、人間性の発露を犠牲にしていくことの意味を私たちは考えているだろうか。「国民の命を守るため」という漠然としたスローガンのために、多くの人々が非人間的な「新しい日常」を強いられていく様子は、過去の戦争を想起させる。実際、日本を含む世界は、「テロとの戦い」から「感染症との戦い」へ大義名分をシフトしていくことにより、人々の人権をより制限し「監視社会」の様相を強めていくだろうと警鐘が鳴らされ始めている。BLM運動への共鳴として日本国内で行われたデモに対しても感染拡大の懸念から反対の声が上がったが、デモ参加者にとっては、まさに「命の問題、人権の問題」であることへの想像力を失ってはならないだろう。
 新元号令和の始まりから東京オリンピックへ、“One Team”となって突き進んできたこの国を覆うコロナによる「パニック」。この社会の空気に違和感を感じることさえ許されないような息苦しさを感じるのは私だけではないはずである。現在公判中の津久井やまゆり園殺傷事件は、「共生」「共に生きる」ということの本当の意味を私たちへ問い直していたのではなかったのか。共に生きることとは、一人一人が生きる価値のある存在であると、それぞれの差異を認めた上でつながって生きていくことだ。「つながる」とは、同じ方向に向かって一つになることや、一体化、画一化することではない。実態を伴わない薄っぺらいコピーとしての「共生」は非常に危うい言葉でもある。その人らしく生きることなしには、共に生きることはありえない。一つになってしまったら、つながりようがない。この国、社会に生きるさまざまな人々の多様性と、一人一人が自分らしく生きることを尊重し、痛みに寄り添いながら、点と点のまま、線でつながること。それが本当の「共生」といえるのではないだろうか。そして、コロナとほぼ時を同じくして日本社会を思考停止にしている言葉が、「誰一人取り残さない世界の実現」を掲げる国連のSDGs(持続可能な開発目標)である。世界的な言葉のインフレーション。目にすることが多くなったSDGsの17の目標を示した図からは、私たちが活動するなかで出会った痛みや苦しみ、悲しみを想像することができない。SDGsによって、横浜から差別はなくなるのか?どうやって?外国籍の子どもたちを笑顔にできるのか?家族に笑いが戻ってくるのか?まだ私には想像できない。誰も言わない(言えない)ようなので、怒られること、場合によっては排除されることを承知で言うならば、SDGsの本質は、「誰一人取り残さない持続可能な開発」ではなく、「一部の人々の持続可能な金儲け」のための欺瞞ではないのか。その意味では、カジノを中心としたIR(統合型リゾート施設)や大規模テーマパークの誘致に横浜市が躍起となっていることも頷ける。
 昨年、県内の公立学校で教員をする一人の在日コリアンの青年と出会う機会があった。未来ある子どもたちに平和や共生を伝える彼自身が、日本人と異なる「常勤講師」という立場で、今も差別され続けている苦しみや葛藤を語ってくれた。彼のような教員は国内各地で日々奮闘している。昨年は、国連・人種差別撤廃委員会から自治体を含む日本への是正勧告が出されている。対国連の政府の窓口でもある外務省による勧告内容の自治体への周知は、最低限の責務だろう。
 すべての子どもたちの笑顔のために私たちが想起すべきは、「ウィズ・コロナ“といわれる世界においてもなお、一人一人の“Human Rights Matter”、自由と人権は護られるべき価値であることへの想像力ではないだろうか。
青年への飛躍信愛塾スタッフ 福島周
 「青年になりたいよ!!たけちゃん!だってカッコいいじゃん」。この言葉を覚えているだろうか?2年半前の「ともに」(No.38)で登場したKの言葉だ。この頃はまだ中学生だったKが気づけばもう高校3年生になった。光陰矢の如し。中国では「光阴似箭(Guāng yīn sì jiàn)」と言ったりするそうだ。
 Kは小学校1年生で中国から来日し、信愛塾に通い始めて12年が経ったという。最初の頃は当然日本語を話せず、Kは中国語で、フィリピン人の子どもはタガログ語で喧嘩した話は幾度となく聞いた。私とKの出会いは彼が中学2年生の頃だ。そのときの印象は「勉強が苦手な男の子」で、勉強している姿より小学生たちと一緒にサッカーをしている記憶がほとんどだ。それでも受験のときは信愛塾に毎週のようにやってきては面接の練習を一生懸命繰り返し、試験に合格して中学校を無事に卒業した。
 Kは高校に入ると同時に印象が変わった。顔つきが精悍になり、もう「子ども」という言葉は似合わなくなった。高校にもすっかり慣れた頃、学校がまだ授業中であるはずの時間にKが来た。聞けば同級生に中国人であることをバカにされ思わず手が出てしまったらしい。小学生の時から日本で過ごしていても肝心な時に肝心な言葉を日本語で言い表せなかったのだ。しかしそれほどに自分のアイデンティティを傷つけられたK。「先に手を出したら負け」と諭されシュンとしながらも、その悔しい想いを話してくれた。信愛塾に顔を出す回数が増えたのはその頃からだろうか。「俺は人前に出たくない」と恥ずかしがり、「ともに」の発送作業やイベント、総会の準備などを手伝ってくれるようになった。「高校生で総会の手伝いをするやつなんていないよな」と(総会の意味をあまりわかってないのだが)自慢して少し調子にのっている。
 Kは最近毎日のように信愛塾に来ている。就職をすることに決めたものの日本の就職の話を家族や周囲に聞くことができない。初めての経験ばかりで不安なのだ。中国人家族との面談が入っていたある日、面談があると知らずにKが来た。日本語をあまり話せない小学生と保護者の面談だった。その家族が来るとKもやや緊張した面持ちで保護者の前に座り、必要に応じてテキパキと通訳をしていく。最初は硬い表情だった子どもと保護者は徐々にリラックスしていき、最後は少し笑顔になって信愛塾を後にしていった。Kは興奮しているような、ホッとして疲れているような表情で「だいたい通訳できたかな…」と話した。今年就職した中国人スタッフWの背中をよく見ていたのだろう。通訳するKの横顔は凛々しく、感動するほど立派だった。面談に来た小学生はそれから信愛塾に通うようになり一生懸命勉強をしている。
 高校生最後の夏休みもKは足繁く信愛塾にやってくる。通訳で自信をつけた一方で会社見学に行く際、複雑なバスの乗換えに迷ってしまい大遅刻。人に聞けばいいものの、その一歩を踏み出す勇気と自信がまだ持てない。拗ねて「もうあの会社には行かない」と言う。それでも「Kも来年の今頃は就職して社会人か」と感慨深く伝えると、「俺も来年は青年だな!」とKが返した。真面目で心優しいK、君はもう十分にカッコいい青年だよ。