17.8.20

「当事者」とは誰か

参議院議員会館で開催された国籍の違いによる差別を考える院内集会に参加しました。同じ採用試験を受けて合格したにもかかわらず、日本国籍を持つ人は「教諭」なのに外国籍の方は「常勤講師」として採用されます。そして国籍の差だけで管理職への昇進が阻まれ、結果的に校長になった人とは生涯賃金に1100万円の格差が生じます。そのような国籍による差別を受けている常勤講師の現状を知り、考えるための集会です。

集会の中で国籍の違いによる差別を受けている当事者である二人の常勤講師の方から話があり、その後に司会者からご自身の話が少しだけありました。その方も在日であり、市の職員を勤め上げ、昨年退職したそうです。国籍による差別は一般の公務員の採用でも存在します。その方は、当事者が「この問題はおかしい」と声を上げないといけない。声を上げないと制度が変わらない、と強く言っていました。

集会が終わり、まず考えたことは自分を含めた当事者以外の人々はどう行動するべきなのか?当事者の方々は自分たちにどんな行動を求めているのだろうか、ということでした。しかしそのことを深く考える前に、そもそも自分は「当事者」ではないのだろうか?という疑問が自然と浮かんできました。

この集会においての当事者は同じ試験を通過して採用されたにもかかわらず、外国籍であるが故に待遇や給与において差別されている在日外国人の常勤講師です。でも先生方の話を聞き、国籍の違いによって差別が存在してしまうことに強く疑問を感じましたし、憤りとやるせなさを覚えました。日本人である以上、国籍の違いにより差別を受けている「当事者」にはなれません。しかし様々なことに疑問を感じ、自らの意思で行動をしている自分たちも、それぞれの立場において「当事者」なのではないだろうか。

そんなことを肌で感じて考えさせられましたし、生の声を聞いていくことの大切さを身をもって感じた時間でした。

この記事については後日アップする「ともに」の中で、もう少し細かく書かせていただきました。アップ次第またご案内をさせていただきますので、ぜひ読んでみてください。


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