会報誌「ともに」横浜だより

20.11.11 No.56

マイノリティの他者からはどう見えるか? 東京大学教員 外村 大

 先日、NHK広島放送局による「ひろしまタイムライン」という企画が問題となった。これは、実在の被爆者が残した日記や手記などをもとに、あるキャラクターを設定して75年前の同じ日付に感じたであろうことを高校生らがツイッターで投稿する企画である。そこで、歴史的背景についての注釈なしに日本人が朝鮮人について語った投稿があり、それが差別を助長すると批判されたのである。具体的にはそれは、「朝鮮人だ!!大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」といったものであった。
 批判は当然である。と同時に、試みそれ自体は興味深いとも思う。過去において、ある個人がどのような意識をもって生きていたかを、史料をもとに考えてみるというのは、歴史学の手法であり、多くの人がそうしたことをやってみるのは、とてもよいことだと思う。そうではあるが、しかし上述の企画については、 “日本人の視点”でのみ構成するべきだったのだろうか、という疑問も持つ。むしろ、現代日本社会で何かを訴えようとするならば、マジョリティである日本人には通常気付かない、朝鮮人の意識や彼らから見えていた当時の日本社会のあり方こそを、高校生らに考えさせたり、伝えたりするべきだったのではないだろうか。少なくとも、様々な史料を参考に朝鮮人の視点もいったん考慮してみるという作業が必要だったはずだ。
 では、戦後直後の朝鮮人はどんな思いで過ごしていただろうか。戦争終結時に日本列島にいた朝鮮人は200万人とされる。それなりの社会集団ではあるが、日本列島の人口は当時7000万人を超えており、圧倒的多数は日本人であった。そして、日本人は自分たちこそアジアの指導者であって優秀な民族であると思い(付け加えれば朝鮮人は劣った民族であると考えて、したがって日本民族に同化しなければならないとし)、それに異論を唱える者は非国民だと見なしていた。さらに言えば、朝鮮人の敵国との内通を疑う日本人もいて、実際にそうした流言は戦争末期に増えていた。そのことは、当時の特高警察の資料からも確認できる。また、1945年から22年前に起こった大震災の直後には、「普通の庶民」である日本人が、何の罪もない朝鮮人を殺害した。そのことは、当時、日本に生きていた朝鮮人の間でも、繰り返されるかもしれない事件として記憶されていたはずである。
 そのようななかで、日本帝国の敗戦を知った朝鮮人が抱いた感情は、単純に「我々は戦勝民族で日本人よりも優位に立った」というようなものだったろうか。そうした気持ちを持ったとしても、同時に、これからの生活の不安や日本人に何をされるかわからないという恐れもかなりあったはずである。そして、日本人に対して威圧的な態度をとる朝鮮人がいたとしても、それは、むしろ、自己防衛で自分を強く見せようとしていた可能性すらあるだろう。
 以上は過去についての話であるが、同様のことが現代に起こっていないかどうか、という省察も必要である。しばしば、最近、日本でも外国人が増えた、なんだか怖いし治安が悪化しないか不安だというような声が日本人から発せられるが、在日外国人の方が日本社会では少数派であるし、彼らは何か特別な力をもって社会に影響力を行使できるような存在ではない。そうした人びとにとって、「外国人は怖い」というようなことがマジョリティの口から発せられる日本社会のほうが恐怖の対象だろう。
 付け加えれば同様のことは、抽象的な日本社会だけではなく、例えば、会社の小さな部署や学校のなかのクラスルームでもそうである。同じ空間、時間をともにしていても、マジョリティではない、他者からは、風景はまったく別に見えるかもしれないし、何気ない言葉の意味も違って捉えられている。そもそもほかの人びとがわかっていることや感じていることをどうやら共有できていない、ということだけでも、その人にとっては、不安であり恐れの原因にもなるだろう。
 あまりにも当たり前の話であるが、私たちはそのことを忘れがちである。積極的に機会を作ってそうした感覚を養う必要があるだろうし、メディアや教育に携わる人びとはそれを意識してほしいと願う。

若者は何かを感じている 信愛塾スタッフ 大石文雄

 このところ立て続けに高校生たちからの問い合わせが続いた。ある高校生は「差別をなくすことに関心があるので話を聞かせてほしい」、また別の高校生は「難民問題に関心があるので…」、さらに別の高校生は「差別をなくすためにはどのようなことをしたらいいのか」というような問いかけであった。「なぜそのような問題に関心があるのかな?」と聞くと、「サッカーでフランスに行った時言葉がわからず苦労した。そんな体験から日本で暮らす外国人も苦労しているのではないかと考えるようになった」、「中華街での差別投書事件を知った。ネットで調べていたら学校の近くに信愛塾があることを知った」、「入管に収容されている外国人を訪ねる機会があった。大学でもこうした問題を考えていきたいと思っている」というように、彼・彼女たちは自らの体験や考えをしっかりと伝えてきた。信愛塾の取組や外国人に対する差別、排外主義、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺などの話をすると、ある高校生は「詳しくはないですが一応授業でも習って知っています」という。「公務員の国籍条項など今でも日本には制度的な差別が残っているよ」というと、さすがに「知っています」と答えた高校生は一人もいなかった。でも、神奈川での撤廃運動の経験から「差別をなくすには教育の果たす役割と運動が必要だと思う」と話すと「先生たちの運動はとても行動的ですごいと思います」と、逆にこちらが褒められているようで恥かしくなった。
 偶然かもしれないが、それぞれの高校生と話をしていて、彼・彼女らが何か行動に移そうとしていることを強く感じた。そういえば信愛塾でボランティアをしている高校生たちもコロナ禍の影響で長い間国内待機させられてしまっているが、ようやく一人は台湾の大学へ留学するために飛び立って行った。何が若者たちを動かしているのだろう?何が壁や国境を越えさせているのだろう?彼・彼女たちと話をしていると、差別をなくしたい、国とか国籍を越えて一人の人間として対等に生きたいんだなという気持ちが伝わってきた。大坂なおみさんの勇気ある行動などに刺激を受けているのだろうか?トランプ大統領の差別発言のオンパレードに危機感を感じているのだろうか?スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥンベリさんなどの行動力に影響を受けたりしているのだろうか?あるいは香港の民主化を求める若者たちの影響だろうか?コロナ禍の中で鬱屈とし、暇を持て余して過ごしているのかと思っていたら、それはとんでもない誤解だった。ネットは瞬時に世界を一つにしているのかもしれない。
 「進路は決めたの?」と聞くと、「(差別をなくす仕事に就くために)法学部を受けようと思っています」、また別の高校生は「推薦でもう大学は決まりましたが、難民問題を考えることのできる学部を選びました」という。僕が感心したのは、彼・彼女たちが自分の主体性や判断で先に進もうとしていることだった。もちろんいろいろな人の影響はあるだろうが、自分の関心を自分の進路に結びつけようとしている。何か自分なりの行動を起こそうとしているように感じたのである。
 アメリカでは黒人男性が警察官に膝で首を押さえつけられ命を失ってしまうという事件が起こった。露骨な人種差別に声を上げ立ち上がったBLM(Black Lives Matter)運動に、今度は拳銃を腰につけデモを威嚇するレイシスト集団が登場してきた。それをなんとトランプ大統領が制裁を加えるどころか「君たちの出番が来るまで待機しろ」と思わせぶりの発言をしたという。大統領が差別を煽り、差別を利用し、選挙の道具にしようとしているのだ。
 日本ではどうだろうか?長く続いた安倍一強政治の中で、官僚は上ばかり見て忖度し、公文書の改ざんまでして権力に取り入れられようとする。森友・加計問題、「桜を見る会」など不正義は分かりきっていながら、政治によって糺し、罪を認めさせることもできていない。菅政権になっても安倍政権の踏襲をうたい、権力が「学問の自由」にまで介入し、説明を求められると「総合的で俯瞰的」な判断だと木で鼻をくくったような答弁を繰り返す。若者たちはこんな社会を見てどう感じているのだろう?ひどく政治が劣化していると感じているのだろうか?
 アメリカや日本に限らず、若者は世界で日々起こっている不条理にきっと何かを感じているのだと思う。不条理をそのままにしない、自分ができる何かをしたいと感じているのだろう。若者はいま自分たちの未来に責任を感じ、いまある現実に向き合いだそうとしているのかもしれない。
 「大した話はできなかったけど、まあ、頑張ってね」というと、「はい、有難うございました。頑張ります」と明るい返事が返ってきた。まだ未来は見捨てられたものではないなと受話器を置いた。