会報誌「ともに」横浜だより

26.6.26 No.89

「助けて」って言えるように 信愛塾スタッフ 王 遠偉

63日、中国・福建省の父方の祖母が90歳?でこの世を去った。実を言うと私はあまり祖母のことを知らない。同じ家に住んでいたが、叔母と一緒にいる時間が多かった。亡くなる2週間前にしばらくぶりに祖母とビデオ通話をした。既にその時にはもう寝たきりで、少し認知もあり、言葉も出なかった。私のことを認識しているかどうかも定かではなかった。そんな祖母を見ていると、私は言葉では表現できない複雑な心情に駆られた。祖母は非常に苦労をして来た人だと思う。私が今でも唯一覚えていたことは、祖母が「日本兵はすぐそこまで来ている」と言ったこと。その後、195862年の大飢饉も経験した。ビデオ通話で見た祖母の顔は苦しそうだったが、どこかほっとしたような感じにも見えた。

来日して間もない頃だったと思う。私は数学のプリントを持って兄の部屋に入って、「数学を教えて」と泣きながら言った。兄からは数学を教わったかどうかはもう覚えていない。ただ、日本という未知の環境、聞き慣れない言語、日本語の習得や学校の教科勉強、それらが全部重なってストレスとなって、私を押し潰した。多分誰でも良かったと思う、たまたま兄が近くにいたから。少しだけ心に溜まったストレスが和らいだ。

授業中にタブレットを使って地図アプリで自分の故郷を探す中国籍の少年Mのことを覚えているでしょうか?彼はこの4月で最高学年の6年生になった。相変わらず彼は日本語を話そうとしないが、少しはペンを握るようになったみたいだ。何故「みたい」という表現をするかと言うと彼はこのところあまり信愛塾に来ていない。彼とはよくlineのようなチャットアプリで連絡を取っている。彼からは「明日信愛塾に行ける」と入ってきても、次の日には「今日は用事があるから行けない」とすっぽかされるばかりだ。彼が言う「用事」は「ゲーム」だった。つい最近の出来事だった。5月の末に彼の学校で運動会があった。彼にとっては最後の運動会だ、最後の晴れ姿を写真に収めようと私はカメラを担いで学校へと足を進めた。

学校に着くなり私は彼を探し回った。ちょうど6年生の競技が終わって、席に戻る6年生の列を見ていると彼の友達から「今教室にいるよ」と教えてもらった。「教室?」と疑問に思いながら、教室のある建物に急いだ。すると突然、学校の先生から「彼は今教室の中にいて、なかなかグラウンドまで出てこない」と言われた。すぐ先生と一緒に教室へと向かった。教室に着くと、教室の扉は閉まっていた。彼を説得するために既に他の先生が来ていた。ドアを開けると、彼はやはり驚いた顔、「なんでここにいるの?」という顔を私に向けた。今日は運動会なのに、体操着にすら着替えていなかった。私は自分が来た理由を中国語で伝えた。一緒にグラウンドまで行こうよと誘ったが、聞き入れてはくれなかった。しばらく膠着したが、彼は痺れを切らして、大声を上げて、その場にいる全員を教室の外へと追い出した。ドアを閉める時、彼の顔は何処か寂しそうだった。

運動会は土曜の開催のため、その次の月曜日は学校が休みだった。本当は運動会の日に家庭訪問をしようと思っていたが、流石にその日は2校の運動会に参加したから、気力がなかった。月曜日に彼の家に家庭訪問をすることにした。インターホンを鳴らして、もちろん彼が出てくれた。それもその筈、彼の父は遅くまで仕事だから。彼はパジャマ姿で何とも言えないような表情で私を出迎えてくれた。事前に準備したたっぷりと袋に詰めたお菓子を彼に渡し、玄関先で少し立ち話をして帰ろうと思ったが、彼が着ているパジャマについたシミを見て、家の中に入ることに決めた。まだ外は明るいにもかかわらず、家の中はカーテンが閉まっていて、明かりもなく薄暗かった。彼が部屋を案内してくれた。ここが姉の部屋、ここが自分の部屋、ここが父の部屋と。取り込んだ洗濯物がそのままベッドの上に乱雑に置いてあった。少し気になったので、冷蔵庫に向かって私は歩き出した。以前彼が「得意な料理があるんだ」という言葉がよぎったからだ、父の帰りが遅い時は自分で食事を作っているらしい。失礼だと思いながらも私は冷蔵庫を開けた。たくさんの食材があり、生活感溢れる冷蔵庫だった。しかし、どれもすぐに食べれる物ではない。彼はどんな料理を作るのかなと思いながら玄関に向かったら、彼の部屋から声が聞こえてきた。彼もそれに反応して、部屋の中に戻っていた。どうやらボイスチャットをしながら友達とゲームをしていたらしい。「ドアの鍵をちゃんと閉めるんだよ」と言い、彼の家を出た。

 信愛塾は子ども達にとってどんな場所なのだろうか、時々それを考えることがある。家のように好き勝手なことができる場所?冷蔵庫を開けて「これを食べるね」と言える場所?同じようなルーツを持つ子ども達がたくさんいる場所?勉強や日本語を教えてくれる場所?色んな事を相談出来る場所?どれも正しいと思う。だけれども、私はどんな小さなサインでもいい、子ども達が自ら「助けて」と言葉として言えるよう、そんな場所に信愛塾をしていけたら良いなと思う。

学習支援ボランティアに参加して ボランティアスタッフ 松浦 恵理

信愛塾で週1回学習支援のボランティアを始めて4ヶ月になります。まだ何もわかっていない新参者ではありますが、毎週通い、放課後やってくる子ども達と2時間ほど楽しく接しています。始める前は、あまり喋らない子ども達が来るであろうと想像していました。どうやって会話の糸口をつかもうか、そもそも会話してくれるのだろうかと不安に思いながら、子ども達が来るのを待っていました。ところがその予想は見事に外れました。

国語の教科書の音読の見守りをし、読み間違いを指摘すると子ども達は素直に聞いて読み直してくれました。それでまずほっとしていると、音読の合間に、小学生の女の子二人が屈託なく話しかけてきました。思うことをどんどん話す子ども達のエネルギーに取り込まれていきました。さらに小学6年の男の子も加わって、子ども達の話題の展開が楽しくて、あっという間に時間が過ぎました。すぐ近くの公園で若いスタッフとも一緒に子ども達と遊んだのですが、鬼ごっこ、滑り台、ボール蹴りなど、小学生の遊びに久しぶりに付き合って、自分の小学校時代や子育て期を思い出し、少し疲れながらも楽しく過ごしました。

子ども達のエネルギーにはいつも感心しています。頭に思い浮かんだやりたいことをすぐに何らかの形にしようと、アイデアをめぐらし口も手を動かしていきます。最近小中学生の女の子の間ではシール集めが流行っているようです。手作りのシールを作るんだと、キャラクターを書き写したりオリジナルの絵を描いて色を塗り、セロテープを紙全体に張り巡らしてシールを作り、さらにそのシールを貼り付けるシール帳も器用に作っています。学習支援をしている他のスタッフも独自の立体シールを作って子ども達のシール帳のレパートリーを増やしていました。子ども達の発想を応援しようとする大人のスタッフとの会話も私にとって楽しい時間です。

中学生も三々五々やってきて、竹川先生や王先生やボランティアスタッフとさまざまなお話をして、勉強もしています。最初は私とは決して目も合わせず話もしなかった子が、何回か通ううちに、少し会話してくれるようになったことも最近の嬉しいことの一つです。

まだ日本語が十分ではなく、勉強のお手伝いも数えるほどしかできていない子どももいます。でも、何らかの関わりを持って学びや安心感を得られる手助けがほんのわずかできればと願って通っています。

3月の卒業生を送る会も印象深いものでした。一人ひとりに向けて書かれた手作りの卒業証書の温かな言葉、お別れするスタッフにも証書が用意されていたこと、そして参加した保護者の方々とともに日本語と英語で歌を歌ったことなど、心に残る場面がたくさんありました。また、何よりも子ども達が、送る側、送られる側共に、自然に、感謝の言葉や次への希望の言葉が出てくることに感心しました。

信愛塾に関わるさまざまな問題も毎月の研修会で学んでいます。私自身の知識や考えの浅さを痛感します。信愛塾に通う子ども達そして家族の抱える課題の重さもまだまだ認識不足ですが、微力ながら何らかのお役に立ちたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

~ある日の相談室から~ 信愛塾センター長 竹川 真理子

フィリピン人の女性Eから連絡があった。「話しを聞いて下さい!在留資格のことで相談したいことあります」と。日本に住んで30年が経ち、若い頃から働き詰めで九州、関西、そして今は横浜に落ち着き、娘と2人で2DKのアパートに暮らしている。過去には生活保護を受給した事もあったが、生活も落ち着き娘と2人で毎日介護の現場でヘルパーとして働いている。

そのEが、最近の日本政府の排外的な施策や参政党の外国人に対する差別発言が余りにも酷いと、そのせいで毎日不安になり心が痛い、将来の事を考えると夜も眠れない、私はもう必要のない人間なのでしょうかと。法律について何も知らなさ過ぎた自分が恥ずかしいとも言う。それはEの職場の同僚も同じで介護現場で働く外国人の友達を連れて信愛塾に相談に行きたいと言った。「自分達の尊厳や自由を守るため、自分の事は自分で守りたい」Eはこう言った。知らない事をもっと知りたい!仲間と一緒に学びたいとも。

信愛塾では毎月1回、スタッフの育成研修を実施している。外国人の人権施策に詳しい弁護士さんに依頼して私達も最近の在留資格の厳格化や外国人施策の学習会をするので参加してみてはどうかと伝えた。信愛塾での人権課題相談人材育成事業は今年で3年目を迎えた。

私(センター長)の代理をしてくれると言う頼りになる小学6年生の子どもが言った。「タケちゃん先生、ご飯は時間通りにちゃんと食べないとダメなんだよ」と、それは彼女が母からいつも言われてきた言葉でもある。保育園の頃から信愛塾に来ている彼女は表紙写真のダンボーちゃんです。活発な子どもで、働き詰めの母を心配し、何でも自分でやろうとする信愛塾の希望の星です。母は日本在留20年以上、いつも私の事を気にかけてくれます。そして、美味しいフィリピン創作料理や郷土料理をスタッフのために届けてくれます。そんな母の傍らでいつも年下の子ども達の中心にいるのがダンボーちゃんです。

今日も彼女が国語の教科書を音読する声が聞こえて来ます。もう少しで夏休み、王老師、高校生、中学生、ダンボーちゃんの大活躍が楽しみです。

編集後記 信愛塾スタッフ 王 遠偉

 大変申し訳ないのですが、編集後記の場を借りていつも物品のご寄付をして下さっている皆様にもお礼を申し上げます。物価上昇の中、たくさんの物品のご寄付を感謝致します。

 日々、子ども達と接していると、子ども達は信愛塾の中で色んな本音を口に出しています。しかし何も言わない子もいます。そういう子の発する一つ一つの小さなサインも見逃さずにキャッチ出来るよう努力をしていきたいと思います。

 また話は変わりますが、617日から毎日新聞にて信愛塾のことが連載されました。信愛塾のニュースレターと一緒に皆様にお届けします。また信愛塾のホームページや公式SNSにも掲載したいと思いますのでどうぞご一読頂ければ幸いです。