26.11.4 No.91
- 夢を描けない子どもたち
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外国人との共生の現場で起こっているいくつかの事例から話を進めたい。多くの子どもたちが家計を心配している。この間の物価高の中、中学生になると制服、ジャージ等、持ち物などにお金がかかるのを知っていて、お金の話はとても切り出せない。お金で苦労している母親を前に中学生になったら部活に入りたいなどと言い出せない。運動部などの遠征費用や被服代で何時も困った顔をしている母親を見ているから。小学校6年生なのに夢を描くことができない。中学生のある子は医者になりたいと一生懸命頑張ってきた。ある時、急にアルバイトをしたいと言い出した。理由を聞くとテニスをやりたいからだと言う。でもまともには信じられない。実は親からも生活苦の訴えがあったばかりだった。祖国に残してきた家族の窮状を救うために何とか助けてほしいと何度も訴えがあった。祖国に残してきた家族とはアルバイトをしたいと言ってきた子の母親でもある。自らも貧困の中にあるのにそれでも祖国にいる家族を思いやる。それは身をもって、祖国での生活の苦しさを体験してきているからである。想像を絶する国家間の経済格差、日本に暮らしていても断ち切ることのできない家族との紐帯。兄弟姉妹の学費、病気、結婚、出産や葬儀の費用。日本にいてもいつも祖国にいる家族や親戚とは繋がっているのである。
次は主に中学を卒業した子どもたちの話である。小学校の途中で日本にやってきた子ども達、中には日本で生まれた子ども達もいる。彼・彼女たちはみな言葉の問題で苦労してきた経験を持つ。いくつか共通しているのは、親の期待やプライド(親が祖国で体験してきた価値観)の押し付けの中で、子どもはもがき葛藤している。中には来日1~2年が経っても日本語を話そうとしない子ども達もいる。義務教育の間はまだ守られているが、中学校を卒業して高校生や大学生になるとどうしても日本語能力が求められてくる。読んだり、書いたりすることは、漢字圏でなければなおさら並大抵のことではない。親にも相談できず一人悩む。(親から見ると)子の方が日本語が上手だからと、つい期待してしまう。でも現実はそんなに甘くはない。学ぶことに興味が持てなければスマホやゲームに向かう。親は仕事に追われ子どもと向き合う時間も取れない。すると親子での葛藤が生じてくる。時には殴り合いの喧嘩やリストカットなどの自傷行為にまでなっていく。苦しさから逃れられず、居場所もない、部屋の壁にはいくもの穴があり、ドアを壊す、真っ暗な部屋から出てこない、オーバードーズ、DV、不登校、中には友達とつるんで非行に走る子も出てくる。学校も行政や関係機関も対応できず、心を病んでどうにもならず相談に来るケースも多い。簡単に答えなんか見つからない、時間もかかるし命にもかかわる。だから深刻なのである。
信愛塾では学校や行政や関係機関などと連携を取りカウンセリングを行ったりしながら解決に努めてきた。また子どもたちの安否確認をかねて家庭訪問を重ね、伴走型の相談活動を続けてきた。共生の現場は24時間休まるときはなく、言葉の問題も多言語対応ができるスタッフの活躍なくしては成り立たない。もちろんプライバシーの問題もあり限界はあるがここでの体験を発信し続けてきた。こんな厳しい現状にありながらも、日本では今も外国人は増え続けている。どこでも同じような問題が起こり課題解決を求める声は各地から寄せらる。これが信愛塾の日常であり共生の現場である。
しかし、今、まったく首を傾けたくなることが起こっている。昨年の参議院選ぐらいから日本の中に排外主義を煽る声が湧き上がってきたのである。「日本人ファースト」を掲げる参政党が多くの票を獲得すると、今度は政府までが「秩序ある共生」を政策に掲げ外国人に対する規制や締め付けを強化しだしたのである。具体的には在留資格取得の厳格化、例えば「経営・管理」では資本金を500万円から3000万円に引き上げ、「技術・人文・国際」では日本語能力の証明が求められる。在留資格の更新手続きにおいては(最高限度額が)一人当たり1万円から10万円、20万円などへと引き上げられた。永住許可においては在留年数の5年から10年への引上げや、年収や年金に厳しい要件が設けられたり日本語能力が求められるようになった。さらにひどいのは排外主義の自治体版である。国民健康保険料の滞納を入管に紐づけたり、在留資格のない人の「密告」制度の導入(茨城県)や職員採用における国籍条項の復活の動き(三重県)なども挙げられている。こうした締め出しや規制強化の結果として今、「経営・管理」の在留資格者が激減(帰国)しているという。少子高齢化による生産労働力不足を解消するために外国人労働者を受け入れ利用してきたのは政府であり経済界なのに、排外主義を煽った方が票に結び付くと真逆の方向にかじを切ったのである。考えてほしいのは海を渡ってやってきたのは「労働力」ではなく一人一人尊厳を持った人間である。これまで地域社会はそうした人々と「共に生きる」社会をつくるために地域での実践を進めてきた。今、共生の現場から聞こえてくるのは悲鳴にも近い外国人の父母や子ども達の声である。夢すら描けない小学生がいること。生活に追われ、仕事に疲れて家に帰ったら、子どもと激しい口論が始まる家庭があること。苦労して続けてきたエスニック料理店をたたまなければならない悔しさ。貧困の中で追放におびえる家族の悲しさを、知ってほしい。もちろん外国人に限らず国内においても経済格差は広がってくるばかりだが、外国人は常に在留資格という脅威にさらされている。世界人権宣言は、人は自由で尊厳をもって生きる権利を持っていることを謳っているが、これは「国民」かどうかということではなく「人(person)」がどこに暮らそうと常に持っている権利ということである。今問われているのは安易な排外主義に流されないということだ。排外主義が当たり前のように許される社会になるとヒトラーによるユダヤ人の迫害をも黙認し、関東大震災時における朝鮮人・中国人虐殺をも許容してしまう社会につながっていくだろう。こうした負の歴史は決して遠い話ではない、今だって起こりうる話である。今一度、外国人の人権について向き合い、共に生きる未来を展望したい。
- 編集後記
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今年もあと2ヶ月ちょっととなりました。信愛塾にいると毎日何かしらのアクシデントが起こります。それに対応するだけ時間は氷のように溶けていきます。最近はあまりにもほっこりと笑顔になるようなことが何もないです。親子喧嘩、家庭内暴力、不登校、引きこもりなどネガティブなことが多いです。それでも私はこうしたネガティブな事ばかりの中から小さなポジティブを懸命に探しています。
2027年には良い年になって欲しいです。子ども達が笑顔で毎日過ごせるように、私はもちろん、信愛塾の仲間達みんなで良い年を作っていけたら良いなーと思います。引き続きよろしくお願いします!

