26.9.10 No.90
- 「信愛塾を取材して」
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スタッフも子どもたちも、冗談を交えながら笑い声が絶えない場所。信愛塾を訪れて、まずそんな印象を抱いた。しかし、竹川さんが時折話してくれる子どもたちの境遇は、過酷なものだった。目の前の子どもたちは明るく活発で、最初はそのギャップに驚いた。
私は2024年に異動で横浜に配属され、横浜の外国人コミュニティーを調べていたところ偶然、信愛塾の存在を知った。26年春に東京に異動するまで時折信愛塾を訪問して出会った子どもたちを取材させていただいた。子どもたちと少しずつ顔なじみになっていくと、竹川さんが話してくれた子どもたちの背景と目の前にいる子どもたちの姿が、少しずつ重なっていった。
私とは結局、会話がかなわなかった中学生がいた。ところが、竹川さんと一緒にいると、次から次へと大きな声で話が止まらなくなる。ほかにも、鉛筆を握った途端、うとうとし始めてしまう小学生も、王さんが中国語で話しかけると、目が輝き出し、ノリノリで日本語の宿題に向き合い始めた。
私にも、描いた絵や詩を見せてくれたり、「恋バナ」をしてくれたりした子どもたちがいた。公園で遊んだ後は手をつないで自宅前まで見送ったこともあった。そうした何気ないやりとりが私の大切な思い出になっている。
子どもは相手や場所によって、こんなにも表情が変わるのかと思った。信愛塾では、勉強を無理強いされることはない。スタッフの方々が子どもたちに寄り添うことで、自然と宿題や日本語の勉強に向き合っていく。いろいろな機会に「居場所」が大切だと叫ばれるが、本当に良い居場所をつくるには、信頼できる大人がいることや、ほっと一息つける環境があることが何より重要なのだと学んだ。安心できる環境があって初めて、勉強に向き合うこともできる。
まだ始まったばかりの人生なのに、一生のうちに経験するかどうかというほどの大変な境遇の子どもたちもいた。それだけでなく、やっとたどり着いた日本で子どもが差別を受けている現実を目の当たりにすると、やりきれない思いになった。
ある日、放課後に信愛塾に来るなり、肩を落として学校での出来事を打ち明けた中学生がいた。級友から肌の色をからかわれたと言う。
少年は日本に来た経緯を家族からよく知らされていないようだった。故郷の地は今どうなっているか詳しく分からない。幼なじみの親友は今どこにいるのかも分からない。「自分のようにどこかの国に引っ越してしまっていたらもう会えないかも」。母語を思い出せないことも徐々に増えてきたという。
私は「今の一番の心配事は何?」と尋ねた。学校生活で大変な思いをしていると思った。ところが、彼が少し考えて答えたのは「水道代」だった。異国の地で不安定な暮らしを送る親を心配していると話していた。
自分自身が学校で傷つけられているのに、少年が心配していたのは親のことだった。どれも本来なら子どもが抱える必要のないことだ。この少年は日本語を早期に習得しており、家族からも頼られる存在なのだという。ただ、成長期まっただなかの中学生には背負っているものが大きすぎると感じた。
私はなぜこの少年が肌の色をからかわれなければならなかったのかを考えた。少しでも境遇や生きてきた背景を知っていれば、まず悪口を言おうとは思わないのではないか。しかし、少年をからかった級友もまた、海外から来た子どもだったという。なぜ差別的な言葉が出てきたのか、背景まで見ていく必要があると思った。差別が許されるわけではないが、その子自身も何か抱えていたのかもしれない。相手を責めるだけでは、何も変わらないようにも思った。
信愛塾の成り立ちにも触れさせて頂いた。元々中華街で始まった信愛塾が今の中村町に移転したのは、当時から横浜で最も多く外国ルーツの子どもたちが暮らす地域で、学校で起こりうる差別問題に立ち向かうためだったという。
差別は人が生み出し、人と人の間に分断を生む。社会から排他的な空気をなくしていくことは、子どもたちのために大人ができることの一つなのではないかと考えさせられた。
取材を重ねるまで、私は「居場所」というものが、何をもって居場所になるのか良く分かっていなかった。子どもには自分をさらけ出しても受け止めてもらえる場所が必要だ。うれしいことだけでなく、嫌なことがあったときに打ち明けられたり、何も頑張らずにいられたりする場所が必要なのだと思う。そうした安心して過ごせる時間があって初めて、自分のことを考えたり、また前を向いたりできるのではないか。
信愛塾で過ごす子どもたちが、これからどのように生きる力を身につけ、自分が何者なのかを探しながら、アイデンティティーを築いていくのか。これからもその成長を見ていきたい。
- 「大丈夫、大丈夫」
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悩む子ども達がたくさんいる。
「先週も今週も学校に行っていない、嫌だ、行きたくない、幻聴が聞こえる、記憶が飛んだ、友人にバカにされた」何度も言うN。40日間の夏休み、一度しか外出せず、青白い顔、家の中で過ごし母国の友人とチャットで連絡し合いゲームの世界で生きていた。Nの心はいつも母国にあるが、SNSで繋がっている母国の友人も進学などもあり少しづつ減っていく。今やNにはどこにも友人がいない。対人不信と孤立、孤独の中で心療クリニックに通院し数種類の薬が手ばなせない。今日はやっと2限目の授業に間に合うよう最寄りの駅まで送り届けた。Nから「タケちゃん、2限目にセーフだった。ありがとう、何とか今日は頑張って授業を受けるから・・・」とラインが届いた。もう少し涼しくなったら複雑に絡まったNの心をほどいていきたい。
小さい頃から多様な家庭環境の中で育った子ども達が増えている。社会状況、経済格差、教育格差、将来への不安等、主に色々な要因があるが大人が抱える問題が子ども達に作用し、子ども達の心の健康が脅かされているように思える。低い自己肯定感、強い不安、それが希死念慮にまで至り、子ども達の成長に弊害が生じている。この時期、各学校でも給食が再開し、少しホッとしている家庭も多いと思う。子ども達の中には夏休みの間、ジャンクフード、スナックパン、菓子パン、カフェインを多く含むエナジードリンク等を主食にしている子ども達もいた。夏休みのひとり親家庭で、1日2食以下の子が36.9%と言う数字もあるが、ある母は「生活困窮のため食費にお金をかけられず、バランス良く、肉、魚、野菜等とわかっていても安くて簡単なものをとなってしまう・・・」と言う。
毎日、着替えもせずにジャージのまま友人宅で過ごし、真っ黒に日焼けして信愛塾へ来るEは「大丈夫、大丈夫」が口癖で、スタッフにカードゲームやボール遊びをしてもらうのが唯一の楽しみだという。彼の「大丈夫」はSOSの発信でもある。学校と情報を共有し、安否確認を兼ねてお米や生活用品を届けた時、家族の抱える凄まじい現実が垣間見えた。Eは幼い妹達(1歳と2歳)の面倒を見ているヤングケアラーでもあった。まず母に安心してもらうため、行政に相談すれば解決できることを伝え、一緒に通訳を兼ねて区役所へ行くことを約束した。
学習支援日の昼前に夏休みの宿題を持ってJがいつもより早く来塾した。「タケ~電気が止まったよ、エアコンも充電もできない、冷蔵庫のアイスがドロドロになった」と心配顔で話し始めた。「朝ごはんは食べたの?」と聞くと「昨日の焼きそばを食べた」と言う。この夏の暑さの中でエアコンなしでは命に関わることもある。しかしJは「大丈夫、大丈夫」ってママも言っているからと・・・。「大丈夫、大丈夫」は魔法の言葉だけれど、子ども達にとってはSOSの緊急発信でもある。そのことをスタッフの王老師と確かめ合った。
この夏休み、多くの生活困窮家庭が続出している。物価高騰の中、もう限界と言う母達。そんな現実の中で子ども達も大人もギリギリの生活を踏ん張り続けている。日本人同様に高齢化が進む外国人女性達。介護ヘルパー、ホテルの清掃、看護士補助、コンビニ店員と様々な職種で日本社会を支えている。そのような中で在留資格の厳格化や在留資格審査手数料の大幅値上げ等、外国人に厳しい施策が次々と打ち出されている。役に立たない人は国に帰れと言わんばかりである。ある母が「私は日本に住んでもいい外国人なの、それとも住んではいけない外国人なんですか」「私は子ども2人を育てて、税金払って頑張って働いている、何がダメなのか教えてほしい」「みんな横浜が大好きなのに悲しい」と言う。子ども達や父・母達にも楽しかった時、苦しかった時があり、そして日本へ来日するには様々な理由があった。みんな生きてきた家庭史があるはずだ。その生きてきた歴史を否定してはならない。それぞれが大切にされ、素のままで生きられる社会であって欲しいと思う。
「生きたい~。生きたい~。生かせろよ~」と4時間近くかかった手術から目覚め、Fが小さい声で叫んでいる。まだ若い彼女にとって抗がん剤治療がどんなに辛いことか。通院の介助をする王くんや私に副作用に苦しみながらも「元気になったら焼肉だよ!コストコも一緒に行こうね!」と落ち込む私達を逆に励ましてくれる。「もっと回復したらフィリピン人の子ども達の学習支援を手伝うから待っててね、リハビリも頑張る」と前向きなF。来週から再度抗がん剤治療も始まるが精神的に落ち込みながらもなんとか乗り越えようとしている。子ども達はFに手紙を書いて励ましている。誰もがみんな素晴らしい信愛塾の仲間達でもある。そんな仲間達に悲しい思いはさせてはならない。
信愛塾は今年で設立48年目を迎える。48年の歴史は闘いの歴史でもあった。いつも私達の傍には子ども達がいて母達や父達がいて、そして支援者がいた。多くの人に支えられての48年でもあったと思う。今もそしてこれからも信愛塾の闘いは続いていく。なによりも王老師の「大丈夫、大丈夫」が心強い言葉となっている。
- 編集後記
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長い夏休みが終わり、子ども達がまた学校という「日常」へと戻っていく。母国に帰った子、家から一歩も出ない子、満足にご飯を食べることができなかった子、一日中ゲームやSNSに没頭する子もいた。幸運なことに、部落解放同盟神奈川県連合会への訪問、横浜ゾンタクラブから野球観戦の招待、つかの間ではあったが子ども達には「非日常」を体験出来たことは本当に嬉しいことであった。
「さぁ、顔を上げて前へと歩いて行こう!」と言われても、それは大人にとっても難しい。ましてやそれが子どもとなるともっと至難の業だろう。ゆっくりでも、立ち止まってでもいい、少しずつ出来ることから始めよう!信愛塾はいつまでもここにいるから!

