会報誌「ともに」横浜だより

22.3.24 臨時増刊号

連帯を求めて声をあげよう ともに編集部

 ロシア軍によるウクライナへの侵攻が続いている。ニュースを見るたびに胸が締め付けられ、張り裂けるような思いになる。今何ができるか信愛塾の中で話し合った。無力であることは百も承知で、それでも「孤立を恐れず連帯を求めて」メッセージを出そうと「臨時増刊」を出すことにした。平和な世界が一日にして崩れ瓦礫の山と化していく姿は戦争のむごたらしさを余すところなく伝えている。泣き叫ぶ子どもたちや必死で避難する人々の姿、包帯を巻いた負傷者の姿は顔を覆いたくもなるほど見ていても辛い。理由はどうあれプーチン・ロシア軍によるウクライナへの侵攻は侵略戦争であり、絶対に許されるものではない。第二次大戦後の国際秩序を崩壊させ、さらには核兵器や化学兵器の脅威をちらつかせながらNATO軍をけん制しつつ、ウクライナを屈服させようというプーチン大統領のやり方はまったく許しがたいと思う。一刻も早くさらなる被害を拡大させないために、世界は、国際社会は何をすべきなのかが厳しく問われているのである。
 ただ、今、気を付けなければならないことがある。ロシア人に対する迫害である。ロシアのウクライナ侵攻以来、世界の各地でロシア人に対する迫害が伝えられている。日本でも銀座のロシア料理店の看板が何者かによって破壊されるというヘイトクライムも起きている。あってはならないことである。先日、信愛塾の近くでもロシア人女性たちが公共施設の一角に集まって泣きながら情報交換している姿を目にした。プーチン専制による侵略が許せないのは当然だが、プーチンの戦争を支持しないロシア人だって大勢いる。デモをして拘束される人、公共放送の中に飛び入り戦争反対を訴える女性、ロシアからの国外脱出を試みる人々、だまされて戦場に息子を送ってしまったと泣きながら訴える母親、みんな命懸けで戦争反対を訴えている。ましてや日本に暮らすロシア人は地域社会の住民であり生活者でもある。ウクライナ侵攻には何ら関与していない。外国人個人をその国と同一視して誹謗中傷することは許されない。
 第二次大戦中にアメリカは日系人を敵性国民として強制収容所に送り込んだ。これに対してバイデン大統領は「国家の恥であり二度と繰り返してはならない」と過去を振り返って謝罪した。日本も、いや日本こそ歴史から学ばなければならないのではないかと思う。戦争や災害などの非常時に排外主義を煽り、デマを流し、隙あらば戦争の挑発行動に出て名をあげようとする人がいる。安倍元首相はここぞとばかりに「核兵器の共有」を論議しようと本音をさらけ出し、被爆者を始め多くの人たちから不見識極まりないと批判された。今、訴えるべきは核兵器の全世界からの廃絶ではないか。プーチンなどに核のボタンを握らせないようにするためには、核の傘や核抑止論という既存の思考から抜け出し、今こそ核兵器の地球上からの廃絶を訴えるべきではないだろうか。これを理想論にしてはならない。
 ロシアのウクライナ侵略はかつての日本によるアジアへの侵略を彷彿とさせる。朝鮮や台湾などを植民地にし、それを兵站基地として傀儡国家「満州国」を作り、さらには中国内陸部へ、そして真珠湾攻撃、マレー半島上陸、フィリピン、ビルマ、シンガポール、インドネシア、南洋諸島へと戦線を拡大し現地の多くの人々に多大な被害を与えた。もちろん日本軍兵士の多くの命も失われた。政府は大本営発表を繰り返し、デマを流し、戦意の高揚を図った。そして国民はそれを信じた。同時に戦争を批判するものは治安維持法を使って牢獄に閉じ込め拷問を加え徹底的に弾圧した。国民は警察や隣組などによって常に監視された。天皇は現人神として神格化され、戦争の精神的支柱となっていった。今のプーチン・ロシアとあまりにもよく似ている構図ではないか。
 歴史の省察を通して今を考えた時、戦争は人権蹂躙の最たるものであり、基本的人権がいかに大切であるかを考えないわけにはいかない。人権や民主主義をないがしろにすれば独裁者が生まれ専制国家が誕生する。平和は一日にして崩れていくのである。平和や人権は座して待つものではなく、権利のために戦ってこそ自分のものにすることができると思う。平和と人権尊重のために、ぜひ多くの仲間と、世界の人々と声をあげたい。今すぐにでもできることはきっとあるはずだ。