16.12.14 No.33
- 一年を振り返って
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今年も多くの外国籍・つながる子どもたちが信愛塾に通って来ました。とりわけ年度途中に母国からの呼び寄せや他都市からの転入等でやってきた子どもが多く来た年でした。近隣校の外国籍や外国につながる子の在籍率も58%、40%、37%などの学校もあり、年々増える傾向にあります。日本にやってきて間もない子どもたちは学校や地域社会の中で言葉の壁にぶつかり、生活や文化の違いの中で過度に緊張を強いられストレスも感じています。そんな子どもたちにとって母語も話せ、自分を隠すことなくありのままで受け入れてくれる、学校でもなく家庭でもない第3の「居場所」の存在は安心して過ごせる自由空間です。第3の「居場所」では日本語学習や教科学習などの支援を受けますが、それ以前にまず子どもたちをリラックスさせ、指導員たちが今日学校で起こったことを聞いていきます。学校で奇声を発する少女も信愛塾ではとても穏やかな顔で一生懸命学習します。みんな学校であったことを拙いながらもひとつひとつ指導員に教えてくれます。子どもたちの持つ内在する力は際限がありません。わずか数ヶ月で日常的な日本語を話せるようになり、友人も出来るように成長しますが、教育的な言語を身につけるまでにはやはり6~7年はかかります。このような過程を経て子どもたちは学校だけの学習にとどまらないで様々なことを学んでいきます。友達を作ることもとても大切なことです。日本人や日本語が話せる子と友達になると急速に会話力が発達していきます。スラングや汚い言葉から覚えていくのはテレビやアニメ等、友達の影響を強く受けていることの証しです。もうひとつ子どもたちが安心できるのはOG・OBの存在です。母語で話しかけてくれ、時には母語で勉強も教えてくれます。また一緒にゲームやトランプをしたり公園で遊んだりもします。全く日本語を解せない来日したばかりの子どもたちにとっては最も頼りになる存在です。信愛塾では「先輩力」と呼んでいますが、とても頼もしい存在です。子どもたちは自らのロールモデルとして、先輩たちの背中を見ながら育っているのです。ただ問題は子どもたちの学習支援という面だけで解決し得ないという点です。文化的背景、つまり生活文化習慣の違いからくる課題、例えば宗教や食習慣、生活習慣の違い、家庭環境の違い(例えば家庭で使われている言語や家族の構成、在日歴、職業、在留資格、あるいは貧困)など、実に様々なものを背負っています。子どもたちが学び続けて行くためにはこうした背景にある困難さをひとつひとつをクリアーしていかなければなりません。そのためにはどうしても学校や行政の関係者との連携は欠かせません。信愛塾だけで全て解決出来るほど容易なものばかりではないからです。今放置してしまえば必ず後で何かが起こってくる、課題はそれほど深刻かつ、複雑でもあるということです。
信愛塾ではこのような課題解決のために在日外国人の教育・生活相談及び伴走型「支援」を積極的に進めてきました。相談件数は1年間で760件(延べ)にもなりました。信愛塾での相談活動は常設で多言語で無料の相談であるため件数は高まるばかりです。しかも問題解決を目指す伴走型「支援」であるため、入管、学校、病院、区役所、弁護士事務所、裁判所などへ相談者と出かけることもよくあります。また相談者の中には役所などでの相談の敷居の高さ(通報されたりするのではないかという恐れなど)を感じている人もいます。当事者にとっては多言語対応が出来、制度や仕組みへの不理解(情報の不足)という状況の中で一緒に行動してくれる人の存在は安心そのものです。ただこれにも課題が残ります。日本語が読めない、行政文書が難しすぎる、ルビが振ってあっても意味が理解出来ないなどの理由から最初から諦め、簡単に頼ろうとするリピーターも出てきます。役所から送られてきた文書をまとめて持ってきてひとつひとつ信愛塾で封を開けるという例もあります。保護者が自立していくためには、保護者が諦めず日本語学習を続け、言葉を獲得していくことも必要です。実際、こうした様々な需要にまだまだ応え切れていないのが現実ですが、決して諦めず、理解者を増やし、学校や行政とも繋がりを深めていくことも大切です。
今、世界は未来を想像することが出来ないくらい激しい動きの中にあります。人の移動の活発化もそうですが国境という壁はいとも簡単に越えられていきます。しかし、それに伴い排外主義の嵐も吹き荒れています。でも子どもたちには国籍や在留資格を選ぶことは出来ません。子どもたちは簡単に排外主義やヘイトスピーチそれに戦争の犠牲者として晒されてしまうのです。地域に暮らす子どもたちは未来を担っていく大切な宝物です。子どもたちは無限の可能性を持っています。信愛塾を巣立っていく子どもたちがどのような未来を地域社会にもたらしてくれるのか、それは今、どのような子どもに育てていけるかにかかっています。厳しい状況であればなおのこと身を引き締め、来年は「横浜モデル」(新たな外国人との共生の仕組み作り)にもチャレンジしていきたいと思います。
- パイプ~個の命と真実~
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わたしは信愛塾で週一回、子どもたちの学習、とりわけ低学年の子どもたちの宿題を見たり、一緒に遊んだりして交流しています。この数年は定期的に来る子が予想できていましたが、社会変動の中で大きく変わり、今は中国からの子どもたちが教室の大多数を占めるようになって来ました。しかし、信愛塾で育ったお兄さんたちがスタッフとして働いてくれることで、子どもたちの安心・安全に大きな力となっています。
ただ子どもたち個々人と信愛塾との関わりは一つ一つが複雑です。信愛塾で元気そうに見えても、学校では一言もしゃべらず我慢して過ごしている子もいます。また反対に暴力や暴言、逃避、ごまかしなど負の部分で表面を包んでいる子どももいます。その根底にあるものは、家庭であったり、社会の不誠実さであったり、心の奥深い所まで遡ります。そのようなことをひとかたまりに受け入れてくれる竹川センター長の働きはとても貴くも堪え難いものです。だからそこに携わる者たちはひとり一人その助けとなるべき働きへと変えられていきます。ここではわたしが竹川さんから相談されたり頼まれたりしてこれまで関わってきたことを書いてみたいと思います。
まず、戦争中に朝鮮半島から強制連行されてきた崔さんという方のことです。96歳の男性で一人暮らしをしていました。夏の暑い中、その方の安否確認も兼ねて訪ねてあげてほしいということでした。車で家から25分程のため、週二回を目安に訪問させていただきました。伺うと、昔の思い出を一つ一つ話してくださり、帰る時は必ず握手をしてくれました。また家にはご自身で描いた絵が何枚もありました。それは全部鳥の絵でした。祖国を離れ一度も帰れなかった思いからか、この状態から飛び立ちたいという願いだったのでしょう。その思いが伝わってきました。しかし、その冬、大動脈破裂で生涯を閉じました。崔さんの遺骨の一部は大石さんにより海を渡り故郷である韓国の家の近くに撒かれました。
次に中国より留学のため来日したのですが、オーバーステイとなり、入管に収容され、その時出産が間近になった女性を紹介されました。わたしたちは出産の用意や病院の見舞い、子守などに携わりました。彼女は二人の子を保育園に通わせながら、パートで働き、夫との連絡もままならない生活の中で裁判を抱えていました。裁判の結果、彼女は退去強制となり家族と一緒に帰国しました。日本特有の閉ざされた社会の法により苦い生活を強いられた女性・家族との交わりでした。竹川さんは帰国の際に、「日本に来て子どもが3人与えられたことが唯一の望みですね」とおっしゃっていました。彼女は今も元気でいることを知らせてくれています。
そして、もう一人、この方もお母様がフィリピンヘ強制送還され、施設の中で育ち、やがて結婚され、今度出産を迎えるということで紹介されました。出産準備とその後の育児を、若い夫婦は様々な困難を乗り越えながら生活してますが、そのサポートを依頼されました。国籍がなかったために諸々の手続きがとても大変で、本人が役所や入管の手続きに行く時や育児相談の時に訪問させていただきました。まず赤ちゃんが無事に誕生され、国籍も与えられた時はひときは嬉しいものでした。これからの長い人生の歩みの中、ひとつひとつの課題が良き方向へと進んでいくことを願うばかりです。
さて、このように信愛塾がおかれている存在はなくてはならないものです。そこには命の回復があります。弱ったもの、傷ついたものが助けを求めに来るところです。そして、信愛塾はこの門をいつも開けています。
- 可能性の扉にノックを
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初めまして。福島周といいます。フリーランスでグラフィックデザインの仕事をしています。僕はかれこれ10年位デザインの仕事をしてきました。美術の専門教育を受けたわけではないので現場で実践を通してフィジカルにデザインを学んできました。残念ながら怒られたことの方が圧倒的に多く、会社を解雇されたこともあります。そのことは決して誇れることではないですが、悩みもがきながらもデザイナーを続けてきたことに自負はありますし、誇りをもってデザインに向き合っています。
今でこそそう言い切れますが、5年前の震災の直後に、被災して避難生活を余儀なくされている方々の映像を見た際、「今、デザインにできることがなく、デザインはなんて無力なのか」と思い、強い無力感を覚えたことがありました。デザイナーとして賞を獲り、華々しく活躍することに憧れもありましたが、その頃から徐々に、もっと人の役に立てるようになりたい、社会を回すための歯車としてではなく、もっと直接的にかかわる方法で誰かを手助けができたら、と考えるようになっていました。
そんな思いを抱えながら仕事を続けていたところ、昨年の5月に竹川さんが特集されていた新聞をたまたま目にしたことがきっかけで信愛塾を知りました。その時「なんて尊いことをしていて、なんて格好いい人だろう!」と衝撃を受け、いつか信愛塾を訪れてみたいとずっと考えていました。そして今年の9月に会社をやめたタイミングで信愛塾に連絡をし、初めて伺うことができたのでした。しかしやっと信愛塾と関わりを持てた喜びを感じながらも、少し前からオランダに移住して仕事をしてみたいという気持ちが強く、来年、まだいつかはわからないのですが日本を離れるつもりでいます。それはもっと良いデザインができるように、もっと広い視野と考え方を持てるように、もっともっと多くの人に出会いたい、ということが理由です。英語が堪能なわけではなく、仕事のつてもあるわけではないのでかなり無謀な挑戦ではあります。それでも今しかできないことに精一杯挑戦したいと考えています。なので限られた時間になってしまいますが、その中でグラフィックデザイナーとして信愛塾に必要なものやあったほうがいいものをデザインしていこうと思います。そして同時に、ものを作ることの楽しさや子どもたちの作ることへの興味や可能性の扉を一緒にノックして、開いていくことができたらと思います。もちろん短時間でできることとできないこと、志やモチベーションで解 決できないことがあるのも分かっています。それでも子どもが楽しめる場所を作っていくことに精一杯貢献していきたいのです。
信愛塾にかかわれた偶然を大切に、僕にできることを一つでも多く、皆さんと、そして子どもたちと、みんなで一緒に作っていけたらと思っています。

