会報誌「ともに」横浜だより

18.3.19 No.40

在日外国人 若者のしゃべり場

昨年末、ある研究会の場において「在日外国人 若者のしゃべり場」と題し、信愛塾に関わりがあり、4カ国6地域にルーツを持つ方に出演していただきトークイベントを開催しました。外国で生まれて日本に来た外国籍の人、日本で生まれ育った外国籍の人、外国で生まれて日本に来て日本国籍を取得した人、三者三様の背景のため、語られた思いも様々でした。その一部だけになってしまいますが、ここでご紹介したいと思います。 (出演者の名前は伏せさせていただきます)
[出演者プロフィール]
A. 国籍: 韓国 / 出生地: 日本
B. 国籍: 台湾 / 出生地: 日本
C. 国籍: 中国 / 出生地: 中国 (中学生で来日)
D. 国籍: フィリピン / 出生地: 日本
E. 国籍: 中国 / 出生地: 中国 (小学生で来日)
F. 国籍: 日本 / 出生地: 中国 (小学生で来日後日本国籍取得)
― 日本で生まれたAさん、Dさんは学校に行ったときどうでした?
A: 通名を使ったことがない。在日が多くいる環境で同じような境遇で育っている子どもはいました。けれど同じクラスの子から嫌なことを言われたりしました。クラスが変わる、進学する、就職するときにも名前を言うことに緊張しました。言えないことはないけれど突っかかることが今でも少しある。(名前を言うと)聞き返してくるから正直面倒くさい。
― 日本で生まれたけど自分が外国人なんだ、と何で意識しましたか?
A: 韓国人の家庭に生まれて韓国人なので、国籍か、と言われるとどうなのかなと思う。国籍が簡単に変えられるなら変えちゃう自分もいるのかなって思うときもある。韓国人として在日の他住地域で生まれ日本で育っている僕なんですよ、きっと。そんな感覚。韓国に行きたいとも思わない、むしろ避けたいと思う。かと言って日本に愛着があるわけでもない。いい印象というのか、思い入れもあるわけではないが、生まれ育ったところなので離れたくはないという思いはある。日本というくくりではなく、今住んでいるところというくくりなのかもしれない。
D: 小学4年以降は外国人という意識を持ちつつ日本を好きになり始めた。それまでは国を国として意識していなかった。ここが日本で、周りは日本人で、これが日本の文化で、そういう国を意識し始めてから自分の日本人と外国人の距離の微妙な遠さ、こんなにすぐそばにいるのに決して重ならない感じが子どものときは変に気持ち悪くて。すごく嫌というわけではないが、思春期の頃なので小中学校のときは思い悩んだことがある。Aさんと同じように、自分の名前を言うのが怖かったという時期もあった。
― 受け入れられないのではないか、という気持ち?
D: 「あ、外国人だ」みたいな感じで少し疎遠になることがたまにあった。大学も自分の名前を言うのが(質問攻めにあうから)面倒くさくて、初対面で今後付き合いがなさそうな人には偽名を言っている。そういう術を使ってしまうような、自分の名前の扱い方にたまに悩むときはある。
― Cさんは日本に来た当初、壁を感じましたか?
C: 来るときに日本語を勉強してきたわけではなかったから分からないことだらけ。学校で日本語を話すのは恥ずかしかった。緊張して出ない。なんて言っていいのか、言っていることがあっているのか。そんな感じで学校ではあまり話さなかった。
― 学校で話せるようになっていった?
C: 高校に入って変わろう、頑張って日本人と話そう、という思いがあったかどうかは覚えていないけれど、日本人の友だちもつくろうという気持ちだった。
― 日本に来れたこと、日本社会で生活できていることを幸せだと思う人はいますか?(3人が挙手)そう思わない人?(誰も挙手せず)どちらでもない?(3人が挙手)
B: この年になってだけど、社会人になって仕事を始めて、外国人とか日本人とか関係なく評価してもらえる。お金を稼ぐためにこっちに来た両親と同じように生きていく上でそこは評価してもらっていて、幸せに生きていけているのではないのかなと。
E: 私は小学4年のときに日本に来て、当時はまったく日本語がわからなかった。でも周りでサポートしてくれる先生たちは教員として当たり前のことだって言っていた。ある友人は言葉も通じない私に対して、何を考えているかわからないけれど一生懸命ボディランゲージで教えてくれた。そんな人がいて、その後もいい人だなと思える人に出会えた。友人関係もそうだし、いい環境と出会えて良かったな、あの人たちにめぐり会えて良かった、そういう意味でこっちに来れて幸せだったなと思う。
― 信愛塾も?
E: そうですね。言葉も通じない、思いも通じないという中で、ただただ馬鹿みたいに騒げる環境があるのは本当に大きなことだと思うし、自分自身に正直にいられる場所があるかないかというのはだいぶ違うと思う。
― 信愛塾のように馬鹿騒ぎできる、という話をしていたときにDさんが頷いていましたけど、自分をさらけ出すことが出来た?
D: むしろ逆でした。みんなは母国の言葉(中国語など)である程度会話できるが、こちらは日本語だけなので。信愛塾は中国とか韓国とかそっちの国の子が多くて自分たちの言葉で話す。そこになかなか馴染めなくて入れなかった。だから自分をさらけ出していないわけではないんだけど、どうやって距離を縮めようかなと考えたりはしました。
― どちらでもないと答えたAさんは躊躇していましたね?
A: 日本で生活できてよかったか、という質問で言えば、日本でしか生活したことがないから単純に比較ができないから悩んだというのはある。と言うのと、たぶん僕は比較的恵まれた地域で育って、仕事もできて飯が食えてって言う意味では幸せなのかなと。信愛塾と出会って竹川さんや大石さんといろんな話をするようになり、信愛塾でないと笑えない話があるという話を聞いていても、学校で困って、信愛塾でしか仲間ができないってどうなのかなって思ってしまう。理想で言えば、極論で言えば(信愛塾が)ない方がいいのかもしれないじゃないですか。
― たしかにそれは話に上がることがあります。Cさんも日本に来たときに大変な思いをして、そして信愛塾に通い始め、今はスタッフとして信愛塾に来ていて、その中でそういう話も聞いていると思うけど、どう思う?
C: 信愛塾以外だとぜんぜん自分をさらけ出さない。今でもそうだけど、大学ではあんまり自分のことを話さない。自分は聞かれたことに答えるだけ。その程度です。たしかに日本中に全部(理解が)発信されれば信愛塾みたいなところはいらないんだろうな、と思います。たまに。
A: なくしたいわけじゃないですよ。こういう仲間づくりっていうのはいいと思う。
C: 自分と同じ境遇のやつらとは会える。それも、でも、どっちのほうがいいだろう。あったほうがいいのか、ない方がいいのか、迷う。
F: 自分にとってはなくなってほしくないですね。やはりこれからもいろんな外国人がどんどん来るじゃないですか。もし信愛塾がなくなったらその子どもたちはどうなるのか、そういうのを考えていました。やっぱり信愛塾に来ている子って学習支援とか受けているじゃないですか。やはり何も受けていない子どもより将来が明るい。子どもたちのためにもなくなってほしくないです。
― 多文化共生という言葉がよく聞かれるようになってきて、そういう機運になってきたことで生きやすくなってきた、多文化共生が感じられることってあったりする?
F: このイベントとかも日本人だけが参加していいということじゃなくて、いろんな国の人が参加していい、そういうのを思う。
― 外国籍のBさんは生きやすくなったって感じる?逆に全然何も変わっていない?
B: ないですね。あまり変わっていない。
― どう変わっていったら、どういう状態が生きやすいって思う?
B: こっちに来ている外国人に問題があることも結構多い。自分たちがいじめられている、と言って誰かに頼りっぱなしじゃなく、自分でやってみてどこがだめだったのだろうって思って、勉強と同じようにやってみてだめだったら繰り返し繰り返しやらないと、子どもたちもいざ就職とかになってくじけてしまうと思う。どこの国でも同じだと思うんです。異国ならなおさら自分たちは頑張らなきゃいけないんだなって思います。
― 受験落ちた、落第した、就活で失敗した。そういう失敗が許されにくい社会の雰囲気も問題なのかなと思う。
E: 互いに理解し合おうとしてないんじゃないかなと自分は思う。結局みんなどこか自分の考え方を他人に押し付けたいっていうのがあって、そういう自己中心的な考え方をみんなどこかで持っていて、結局それがストレスで互いに生きやすくできない理由の一つかなと思う。
― 歩み寄りが足りないんじゃないのか、ということ?
E: 必要なのはそういう接点を作ることが一番重要なのかな。一番足りないって言ったら接点が足りないと思う。
― 最後に一つ、夢を聞かせてほしいです。例えば日本社会への希望でも。
A: 僕に何ができるかわからないですけど、僕より下の世代が学校とか地域とか社会とかで肩肘張らなきゃいけなかったり、緊張して話さなきゃいけない、学校へ行かなければならない、職場に行かなければならないという環境を変えたい。と言ったら偉そうなんですけど、そういうことをなんとかできるところに関わっていきたいなっていうのは思います。
D: 夢といえば、高校生の社会の授業でキング牧師の映像を見た。「私には夢がある」から始まる映像。それを高校の授業中に見てボロ泣きして、あくびをするふりをして涙をふいていた。それくらい心にきてしまって。自分の夢っていうより、将来自分と同じような境遇の子どもとか、そうでなくても将来の子どもたちがなるべく怖がらずに、日の当たる場所に自分から進んで行けるような環境づくりは今の私達がしなければいけないのかなって思います。なにか一つ小さな場所でもいいから、きっかけを作れば未来の人たちが、未来の自分自身もきっとプラスになるのかなって思うし、そういう生き方をしたいなっていうのは思う。だから何になりたいということではないけれど、そういう意識を忘れたくない。今後も。
[質疑応答]
Q1. 恵まれたという話でしたけど、自分のなかで何が一番ありがたかった、その辺をもう少し具体的に聞かせてもらえないでしょうか?
E: その先生は子供の頃の私からみても、自分の生徒は自分の生徒であって、1人の子どもであるという目で見てくれた先生だった。だから他の人を褒めるのと同じように等しく私のことを褒めてくれたし、他の子を怒るのと同じように私の事を怒ってくれた、そこに壁なんてないのが嬉しかった。
Q2. 外国から言葉が分からないので入ってくる子どもたち、日本生まれだけど外国籍の子どもたち、そういった子どもたちに皆さんの経験から是非これは大切にしてほしいなっていうものは何かありますか?
F: 日本に来てできた親友は大切にしてほしい。最初にできた日本人の親友って自分が中国人とか外国人とか認識している。そのうえで親友になれたのはつまり受け入れてくれている、ということだと思うんです。その人はぜひ大切にしてほしいなと思う。
E: 逃げ道を見つけて、それを大切にしてほしい。本当になんでもいいから自分を完全に押さえ込もうとしないで、逃げられるときは逃げていいということを大切にしてほしい。
A: 全然話が違うかもしれませんが、僕は高校に入ったときに入学式の日に担任の家庭科の先生に、家庭科室に呼ばれて、なんかあったら言ってね、なんでも相談に乗るよって言われたんですよ。なんかあるって言われたときに、そこの状態がすごく嫌だったんですよ。そこに呼ばれて行く状態っていうのが。それがいいかどうかっていうのは、皆さんの判断それぞれだと思うんですけど、いろんなことを考えるんだけど、その先生はもしかしたら気にかけましたっていうポーズだったかもしれないし、本当に心配してくれたのかもしれないし。やっていることって伝わらなきゃわからないことって一杯あるじゃないですか。その子の事を考えてほしい、その子のことを見てほしい、とは思います。
D: あんまり国とか意識せずに、その子に、子どもはこどもなので、自分たちの、自分たちが思う適切な寄り添い方をしていってくれたら一番いいんじゃないんですかね。押し付けがましいですけど、そういう外国人、日本人関係なく、子どもたちの好奇心とか、興味を引いたものはどんどん触れさせてあげるべき。好きなものを見つけるきっかけ、嫌いなものを見つけるきっかけがあればあるほど、自分を構成していくスピードってきっと変わってくると思う。

「信愛塾の存在はやはりなくならないでほしい」というFさんの言葉が印象に残りました。実は彼だけ高校生で、大人が頭で考えた理想論ではない、高校生の彼だから語ることのできる実直な思いが伝わってくる言葉でした。社会に理解が広まり、いずれ信愛塾のような存在が必要とされなくなっていくことは、信愛塾が目指す「ともに生きる」社会になったということでしょう。しかし現実を見れば、広まるのは安易で一時的な労働力の受け入れで、外国人労働者に自分たちの生活が支えられているということに思い至れている人はどれくらいいるのでしょう?そのような社会で生きづらいマイノリティの子どもたちに家でも学校でもない「居場所」という存在の大切さを、当事者である高校生が語ってくれたのだと思います。 顔を見て、言葉を聞いて会話を重ねる。その繰り返しこそが本当の意味での理解や心をともなった交流を促していくのでしょう。そのためにも今回のような「接点」を継続的につくっていきたいと思います。