会報誌「ともに」横浜だより

19.12.23 No.51

私の将来 信愛塾ボランティアスタッフ 山岸笑璃

私は、2020年4月、日本を離れ、マレーシアへ行くことを決断した。主な理由は3つだ。
 1つ目は、多文化共生を学びたいということだ。私の高校生活を支えてくれたのは、アジアにルーツを持つ友人たちだった。私は一年生の時、「日本人ならば日本人らしく」と言われ、陰口、仲間外れなどの嫌がらせを受けた。しかし、彼らは違った。私を国籍ではなく、一人の個として認めてくれた。そんな彼らの生活には様々な問題があることを、会話をしていく中で知った。彼らのために何かをしたい、そのためには知識が必要であると考えたからだ。
 2つ目は、アジアが好きで、アジアの言語や文化をもっと学びたいということだ。私は、友人たちに出会う前、テレビの報道を鵜呑みにし、アジアに対してマイナスなイメージがあった。しかし、彼らに出会い、彼らのやさしさに触れ、もっと彼らの根本にある文化を知りたいと思うようになっていった。そして、実際に見たり、話したりして学びたいと考えたからである。
 3つ目は、大学に行くためだ。日本の私立大学の費用はとても高く、大学に行ってやりたいことができない可能性が高かった。やりたいことの一つは海外留学だった。学校の先生に相談をし、マレーシアの大学ならば、生活費を含めても日本の大学よりも安く行けると分かった。諦めていた夢を実現できることを知り、私はこの決断をした。
 私は、将来何をしたいのだろう?私はほぼ毎日自分に問いかけている。答えはない。しかし、自分を変えてくれた友人や支えてくれた人たちに恩返しのできることをしたい。それが今、私がやりたいことだ。その為に、私は学ぶ。

信愛塾ボランティアスタッフ 横川蓮奈

 今、ドイツのミュンヘンから書いています。のどかな景色を通って列車に何時間も揺られてドイツの街をダンスの公演をしながら周っています。
 そこで一人の小学6年生に出会いました。女の子は「困っている子たちを助けるために募金をしたい!」と少し恥ずかしそうに話してくれました。その女の子は再生紙で袋を作り、庭から採ってきた種をなかに入れ、友だちと販売してすでに200ユーロ集めていました。
 私は生活に困難な環境に置かれている子どもたちに寄り添える人になります。宣言した方が実現しそうなので言い切ります。その女の子に出会って年齢でできること、できないことと分けてしまうのはもったいないと最近思うようになりました。
 まずは、自分で月1カフェを企画してお金を集めて募金をすることからはじめようと練っているところです。来年は台湾国立大学の国際政治科学科に受験するため高校卒業後、台湾に渡り、語学を学ぼうと考えています。そうして、少しずつ自分なりのアプローチの仕方を見つけていきたいです。
 アジア特有の空気、何か混沌としているところが大好きです。そこに加わってこどもたちを取り巻く問題に取り組んで、なんくるないさーと笑うことも忘れず、いろんな境遇の子供たちとともに生きる。これが私の夢です。

新たなる出会い 信愛塾ボランティアスタッフ 林健懿

 私は信愛塾で多くの子どもたちと関わり様々なことを学びました。
 私は以前子どもと関わることはほぼなく、どこか遠い存在だと思っていました。しかし、ここでボランティアをしていく中で一緒に遊んだり、勉強を教えたりして共に時間を過ごし素直に考えを言えるひとりの大人のように見えました。そして子ども一人一人にも性格や得意な事はそれぞれ違い、子どもたちについて詳しく知るごとに楽しさが増して行きました。これらは普段の高校生活とは一味違う、すごく充実した時間となりました。
 また、クリスマスパーティーについても自身で主体的に企画することになり、高校生同士でみんなが楽しめるゲームの提案を出し合いました。こういう経験がなかったため戸惑ってしまうこともありましたが、徐々に自分の意見も出していきたくさん議論が出来るようになりました。そして改めて自分たちで企画を立ちあげる事やボランティアの意義に気づき、ぜひこれからも積極的に関わっていきたいと考えました。
 私はまだ信愛塾に関わって日が浅いですが様々な人々との出会いがそこにあり、そして地域に根ざしたボランティア活動は外国人の子どもたちに大きな助けになっていると思います。ぜひ信愛塾が続いてほしいと思います。

そんなに悲観するには当たらない! 信愛塾ボランティアスタッフ 中宮常雄

 戦後最悪の内閣ともいわれる安倍内閣が、戦後最長の任期を更新している。戦争法案や政治私物化事件、憲法改悪を目論むなど、民衆の困窮と絶望感は深まっている。こんな内閣が7年も続いていれば民衆の絶望感が諦めへと変わってしまうことがもっと怖い。声なき声を、自分の政策への支持であると曲解するのが現政権だから。
 単一民族国家論の著者である小熊英二はその著書の中で、単一民族国家論が言われだしたのは戦後であり、それまでは日本も多民族国家を自認していたと記している。当然のことながら朝鮮や台湾を植民地にしていたのだから。またこのような説が声高に叫ばれる時は概して社会がうまく転がっていない時,展望のない時に叫ばれるとも書いている。このことは我々に大きな示唆を与えている。
 今年元号が変わったこともあって、平成(1989年~)の時代は何だったのだろう?とのテーマで色々紙面などが語っている。平成の30年間はちょうどバブルの崩壊からの30年に符合している。世界では冷戦が終わり劇的な変化が起こっている時、日本では30年間ずっとこの崩壊の修復に追われてきた。まさに失われた30年である。
6年前に登場した安倍政権はアベノミクスとやらを叫んで、莫大な金融緩和で市場にお金を流し、財政的にも毎年最大の予算で景気浮揚を試みたが、一向に景気は上向かず失敗に終わった。
 つまりこんな閉塞の30年だからこそ、『いや、日本は本当は素晴らしい』と「新しい歴史教科書を作る会」(1997年)や、「在特会」(2007年)が現れ、またマスコミも「日本はこんなに素晴らしい」番組を流し続け一人留飲を下げている。世界からその保守性が批判されていても、安倍首相は「美しい日本」を内容なく叫びこれらの風潮を煽っている。この国際化の時代に今さら「日本単一民族国家」とは言えない、アイヌを日本の先住民族と認めるアイヌ新法も成立した。従って現在のこれらの保守側からする扇動は形を変えた「日本単一民族国家」礼賛論であり、日本が閉塞し、沈みかけていることの保守側からする危機感と見ることができる。ただこのような時代錯誤の扇動は、日本を一層閉塞と沈滞へと引きずり込み、つまり国内的には格差と差別を深刻化させ、対外的には諸外国との紛争を生み・激化させることは目に見えている。現にそれは進行している。小泉政権の閣僚を務めた竹中平蔵は、構造改革を掲げ、構造改革を進めれば日本(経済)は発展するといった。しかしこの政策がうまくいかなくなると“構造改革が足りないから”と現実を見ようとしないお題目を叫ぶに終始した。
 翻ってこれらの保守勢力も同じ論調である。つまり、教育勅語を持ち出したり、隣国批判をヒートアップさせたり、益々ナショナリズムとアナクロの深みにのめり込んでいる。実体のない誤った日本礼賛だから、一時人々を酔わせても実態の前に覚醒するのである。
 上記の小熊英二は平成30年間を通して、一層日本の同質性は深まったと言っている。首相はほとんど世襲政治家、経団連の19人の正副会長は全員が日本男子、最も若くても62歳、起業や転職の経験者はゼロ。こんな政財界の同質性の中からは新発想は生まれてこない、これが世界の変化に遅れた理由であると!
 さて、日本の保守層がアナクロとナショナリズムの自己満足に浸るのは、己の空想の世界だけにして頂き、我々は歴史の教訓から学びたいと思う。明治初期の日本の発展はお雇い外国人による国家建設を初め、世界の知識文化を国家の根幹を含めあらゆる分野に取り入れたからこそ成し遂げられたのであり、戦後の復興も、戦争を排して平和社会を築こうとした老若男女の懸命の働きと諸外国の支援によって成し遂げられた。
 OECDの各種統計を冷静に見てみよう。もはや日本は先進国ではないのだ。バブルを経験した中高年齢層は過去から現在へと視線を移すべきだ。とりわけ子供の貧困、母(父)子所帯の貧困、教育費の低さなどは一刻の猶予も許されないほど酷い。
 安保法制反対のために連日国会を包囲した人々の多くは、70年代安保世代だった。つまり当時の戦争反対のエネルギーは、参加者の心の中で脈々と続いていたということだ。その世代が子や孫と共に参加している姿も目立った。いまも国会前では政治課題に異議申し立てする人の抗議行動が絶えない。世界の大衆の決起も大きなうねりの中で、日本の民衆を鼓舞している。沖縄を初め全国各地で政権に抗議する大衆行動が繰り広げられている。川崎では新たにヘイトスピーチに罰則を科す条例が市民の力で作られようとしている。このような人々のエネルギーこそ我々の源泉であり、希望である。そんな社会の流れの中で、国籍条項という壁も、遠からず過去の語り草になると思う。