22.3.23 No.39
- 一年を振り返って
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日本に暮らす外国人が238万人を超えました。住民55人に1人が外国人となる時代です。近所のコンビニやスーパーをはじめ病院、介護現場等で多くの外国人が働いています。日本経済を底辺から支えているのが彼・彼女たち労働者でもあるのです。広島・生口島の造船所の工場労働者は130人のうち60人がフィリピンや他の外国からの出稼ぎ労働者で、彼らなしには仕事が成り立たないともいいます。海外からの労働者抜きに日本の経済は成り立たないのが現実です。横浜も同様に外国籍者の人口が増え続けています。信愛塾に来ている子どもたちの保護者や兄・姉たちも懸命に働き、子育てをし生活者として地域社会に貢献しています。かつて新渡日と呼ばれた在日外国人たちもその多くが世代交代をしています。在日歴30年の中国人、フィリピン人、タイ人の人々は日本語も日本の制度やルールなどある程度理解はできていると言うものの熟知しているとは言い難いのが現実です。あるフィリピン人女性は日本人夫に先立たれた直後、遺族年金や相続の手続き、お墓、先妻や子どもとの間に確執が生じ、精神的にショックを受け信愛塾に駆け込んで来ました。地縁や血縁があるわけでなく、周りに相談出来る人もなく、ましてや行政に相談することなど考えてもいなかったと言います。
信愛塾には現在、日本生まれの子どもたちをはじめ親や親戚が先に来日し後から子どもを呼び寄せるケースが増えています。今年も様々な背景を抱えた子どもたちがやって来ました。学習の後はドッチボールやバトミントンを若いスタッフと楽しむ、にぎやかな子どもたちの声が近所の公園から聞こえてきます。居心地がいいのか帰る時間になってもあと少し、あと少しと帰ろうとしない子どもたちです。学校であったことを延々と話す小学生、スタッフに家まで送ってとねだる少年…。日没が早い冬のこの時期、私の心配をよそにそれぞれが思い思いの自分を主張し合っているのです。
2017年、子どもたちにとってたくさんのうれしいこと、くやしいこと、悲しいことがありました。そして新たな出会いも。中国から来日したばかりの小学1年生たち、言葉が理解できず、学校のルールも分かりません。でも少しずつ成長しています。初めて経験した日本の小学校の運動会、母も子も緊張した面持ちでお弁当を食べていたことがつい昨日のように思い出されます。今は2年生への進級を待つばかりです。しかし悲しい別れもありました。中国吉林省へ泣く泣く帰国して行った小学生のRくん、最後のお別れ会でみんなが歌ってくれた『あわてん坊のサンタクロース…』私は堪えきれず泣いてしまいました。帰国する子も残る子も何もなかったかのように「じゃあ、またね!!」といつものように精一杯の笑顔で見送りました。下ばかり向いていたRくんに中国語で「不要忘记信爱塾哦!」(信愛塾のこと忘れないでね)と伝えた時、小さな声で「わかったよ竹老師…」と言って、また、下を向くRくん。自分の力のなさを痛感し来年再見と約束しました。後日、吉林省へ一緒に帰国したRくんの父から「無事帰国、ありがとう」とメールが届き辛い心が少し軽くなったような…。
今年は母子家庭、父子家庭、単身者もいつになく増えました。孤独の中で日々の生活を送り、格差社会の中で生きづらさも重なります。子どもと言えども大人と同じような経験をし、複合的困難に耐えられず大泣きする子どもたちにかける言葉が見つからない時もありました。信愛塾は日本社会の深層で起こっている事が顕在化する場所です。社会全体の問題がしわ寄せされている縮図と言ってもいい場所なのでしょう。だからこそ学習の場や相談の場だけではない子どもたちの発達や大人との関係性を築き育む場にしていきたいと常々思っています。居場所を求めてもがき苦しみ、自分を傷つけ、他者をも傷つけ続ける子どもたちに、お節介なスタッフがたくさんいるから誰も置き去りにはしないと伝えたい。そして『安全で安心できる居場所作り』をみんなと一緒に作っていければと願うばかりです。信愛塾に関わる多くの人々、スタッフ、若者たち、子どもたちには生きづらい分断された世の中や格差社会の現実を変革していく力があると私は信じています。それを信愛塾の実践の場で証明していければと思うのです。
最後になりましたが、今年も多くの皆様のご支援・ご協力により乗り越えられました。心のこもったお手紙・メール・ご寄付を寄せて下さったり、支援をして下さる皆様にはスタッフ一同心より感謝申し上げます。一部の方には子どもたちが描いた絵手紙やカードを感謝の言葉とともにお送りしています。すべての皆様に出せないのが残念ですが、学習後頑張って書いています。1枚1枚にはその時々の子どもたちの気持ちや感情があり大人にはとても表現できないかけがえのないものです。
来年は信愛塾が中華街の一角で小さな子ども会を始めて40年目を迎えます。若者
たちスタッフを中心に少しずつ2018年秋
の40周年記念式典の企画をしています。
今年もみなさんとたくさんの課題を共有できたことを改めて感謝し、次の年につなげていきたいと思います。
どうぞ良い新年をお迎え下さい。
- 私が活動を通して考えたこと
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初めまして。11月から信愛塾でボランティアをさせていただいている武蔵野大学社会福祉学科3年の澤田紗英と申します。数回の活動で私が何を伝えられるかと考えたところ、今回はじめて投稿させていただくということで、私がなぜこの信愛塾のボランティアに参加したのか、数回活動してどんなことを思ったのかを書きたいと思います。
私がこのボランティアに参加するきっかけは、元々外国の文化に興味があり、自分が学んでいることを活かしながら、外国の方と関われるボランティアがないかと7月ごろ大学の教授に伺ったのがきっかけです。そこから自分なりに論文や本を読むことで、在日外国人と日本人の共生社会の構築のために社会のあり方はどうすればよいのか学びを深めたい、また共生社会構築のために何も力を持っていない自分は、学生の今どんなことができるだろうかと考えたことから、直接在日外国人と関わることが出来るこのボランティアに社会福祉士の実習が終わって落ち着いた11月から参加することを決心しました。
参加した当初の頃の私は、社会福祉士の実習以外長期のボランティアに参加したことがなかったので、自分に何ができるのか、この子たちとどう向き合えばいいのかすごく不安でした。また、私の思考が何かしなきゃいけないという義務感が強く、自分の行動ばかりに目を向けており、きちんと子どもたちに向き合えていなかったと思います。ですが、数回のボランティアで、子どもたちが真剣に宿題に取り組む姿やいろんな問題を抱えながらも笑顔で遊んでいる姿を間近で見ることが出来き、私は2つのことを考えました。
1つ目が、子どもたちの可能性の大きさです。私は、在日外国人の子ども=かわいそうと漠然と思っていました。ですが、活動で言語の問題があるにせよ何かを学びたい、日々楽しみたいと思っている姿を見て、可能性を持った子どもたちばかりだと思いました。その可能性を広げられるように微々たる力ですが、何かこの子たちに自分ができることをしてあげたいと思うようになっていました。
2つ目が、周りの環境がいかに大切であるかです。自分は当たり前のように親がいる、学校で何不自由なく学べている環境の中で過ごしています。このように自分は、当たり前のように支えてくれる環境があったことで今の自分になれたのではないかと気づきました。
この2つの気づきから私は、これからの活動を通して子どもたちの可能性を広げられるよう、微々たる力ですが何かこの子たちに自分ができることをしてあげたいと思うようになっていました。また自分が当たり前のように感じ支えてもらっていた環境を、信愛塾だけでなく、社会全体がそうなるようにしたいと考えました。そのためにも信愛塾で沢山の学びを子どもたちから吸収していきたいと思います。

