会報誌「ともに」横浜だより

18.9.7 No.43

ジュネーブで訴えたこと、考えたこと 信愛塾スタッフ 大石文雄

 日本ではちょうど8月のお盆の頃、ジュネーブでは国連の人種差別撤廃委員会の日本審査(8月14日~17日)が開かれていた。私たちは12日にジュネーブの宿で落ち合ってここで開かれる審査に臨んだ。私たちというのは一昨年来、常勤講師問題と公務員の国籍条項問題で文科省・外務省交渉を重ねてきた兵庫と神奈川の仲間(常勤講師当事者や外国籍公務員などを含めた)5人である。私たちは長い間この運動を推進してきた多くの仲間に支えられてジュネーブの国際舞台に立つことができたのである。私たちは広く国際社会に訴え、この問題が人種差別撤廃委員会の勧告として取り上げられることを願った。IMADR(反差別国際運動)が中心になって進めてきた人種差別撤廃NGOネットワーク(HRDネット)の枠組みの中での取り組みでもあり、今、最も注目を浴びているヘイトスピーチ・ヘイトクライム問題や慰安婦問題、さらには朝鮮学校での学ぶ権利、沖縄、アイヌ、部落、移住労働者の問題など課題は実に多かった。
 私たちが訴えたかったのは、教員採用における常勤講師制度の撤廃と公務員採用における国籍条項による差別の撤廃である。教員免許を持ち日本人と同じ採用試験に合格しながらも、日本人は教諭として任用されるが、外国人は「期限を付さない常勤講師」として任用される。教諭である日本人は主任・教頭・校長などの管理職になる道が開かれているが、外国人は「講師」であるため昇格することができない。その結果、外国人は定年まで常勤講師であり続け、校長で退職した日本人と、常勤講師のままで退職した人との生涯賃金の格差が1,800万円にもなるというのである。これは「能力以外で昇進に差を設けてはならない」という社会権規約にも明らかに反している。
 もう一つは、法の明文の規定がなくても外国人を排除できるという「当然の法理」の存在である。「当然の法理」とは「公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とする」という1953年に出された行政実例(内閣法制局の見解)である。その見解が2018年という現在でも外国人排除の制約基準として使われているのである。法律でもないものが憲法や条約まで超えて力を及ぼす、これは法治主義の否定である。この「当然の法理」のために自治体ごとに外国人職員採用の取り扱いも異なり、募集要項に国籍条項を設け外国人の受験を認めない自治体、あるいは任用に制限を設ける自治体などが出てきた。もちろん、外国人も受験ができ、公務員として採用される自治体も存在する。在日外国人にとってみれば日本の人権状況は「虫食い状態」そのものなのである。
 僅か3分という短い時間であったが常勤講師である在日コリアンの教員は訴えた。その間他のメンバーは各国の委員にこの問題を分かりやすく解説した英文チラシや関連資料を配った。委員からの質問も出た。会場は緊張に包まれていた。
 委員会の日本審査の最終日である8月17日に政府側の答弁があった。公務員の国籍条項や常勤講師問題での政府側答弁は人事院が行った。
 「公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とするという原則は法定されているものではないが、公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とすると解されているところであり、それ以外の公務員になるためには必ずしも日本国籍を必要としないとされている。公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわらない公務員となるためには必ずしも日本国籍を必要しないこととされている。公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわらない公務員については日本国籍を有しない者を任用することが可能である。地方公務員への任用もこの原則をふまえて適切に対処しこの原則の範囲内で外国人の採用機会の拡大に努めていただきたい旨、各地方公共団体に伝えてきているところである。~一部略~
 公立学校の教諭については校長のおこなう学校の運営そのものに参画することにより公の意思の形成への参画にたずさわることを職務としていると認められることから日本国籍が必要と解される。一方公立学校の講師は必ずしも学校の運営そのものに参画せず公の意思の形成への参画にたずさわることを職務としていないと解されることから日本国籍を有しない者にも任用の道が開かれており、1992年度の教員採用試験から全国すべての都道府県で国籍による任用制限は撤廃されている。」というものだった。
 国籍の違いを理由に外国人の公務員受験を認めなかったり、同じ試験を受けて合格した者に、国籍の違いを理由に任用に差を設けてしまうことが差別だと訴えているのに、政府答弁は「当然の法理」を呪文のように何度も何度も繰り返すだけであった。さらに、同じ試験を受けて合格した者に、国籍の違いだけを理由に「教諭」・「講師」と任用に差を設けることが差別だと訴えているのに、政府答弁はここでも「当然の法理」を繰り返すだけなのである。しかも、外国人「教諭」採用の事実を隠し、1991年からは常勤「講師」に格下げしておきながら「全国すべての都道府県で国籍による任用制限は撤廃されている。」というのだから全くの驚きであった。私は思わず「虚偽答弁!」と無言で叫んだ。
 私たちのジュネーブでの取り組みはここまでであったが、人種差別撤廃委員会自体の取り組みはまだ続いた。そして8月30日に委員会は総括所見と勧告を全世界に発信した。

「在日コリアンの状況」
21、委員会は日本に何世代にもわたって居住する在日コリアンが外国籍のままであり、地方選挙においても選挙権を行使できないこと、及び、公権力の行使又は公の意思の形成の参画にたずさわる公務員に就任できないことを懸念する。
22、一般的勧告30(2004)市民でない者に対する差別に留意しつつ、委員会は、日本に数世代にわたり居住する在日コリアンが地方選挙において選挙権を行使できるよう確保すること、及び、公権力の行使又は公の意思の形成の参画にたずさわる公務員に就任できるよう確保することを勧告する。

「市民でないものの状況」
33、委員会は次の点に懸念する
(e)市民でない者、ならびに長期間在留する外国人およびその子孫が、日本国籍を有していないという理由で公権力の行使または公の意思決定に従事する公務員の地位から依然として排除されていること
 34、市民でない者に対する差別に関する委員会の一般勧告30(2004)に留意して、委員会は締約国が次の点を行うよう勧告する
(e) 市民でない者、特に長期間在留する外国人およびその子孫もまた、公権力の行使または公の意思決定に従事する公務員の地位にアクセスできるようにすること

 公務員の国籍条項と常勤講師問題をジュネーブで訴えてみようという私たちの試みが、上記勧告で示されたように世界の良識を見事に味方に付けることができた。しかも委員会は「特に重要なパラグラフ」として47パラグラフでヘイト問題と同じようにこの問題を「重要」と受け止め、日本政府に「これらを履行するための具体的な措置とその報告」を求めているのである。
 投げたボールが戻ってきた。今度はこうした勧告をどう活かし、今後、政府や地方自治体を具体的にどう動かしていくのかが私たち市民運動に問われているのである。人種差別撤廃委員会が始まる前夜、私たちは、もし勧告がでたらどうするかと話し合った。勧告を活用し具体的な自治体交渉など運動と結びつけ世論まで動かしていこうと⋯、恐らくそれが撤廃への近道なのだろう。差別は許されない、ましてや行政による制度的差別など言語道断である。これからも多くの人々との連携と運動の積み上げで「当然の法理」を葬り、共に生きる社会を作っていきたいと思う。ジュネーブ行動を支えてくれた多くの皆さんに感謝の気持ちを込めてここでの報告としたい。

スマホと学力 信愛塾 ボランティアスタッフ 中宮常雄

 今やスマホは大人から子どもまで、社会生活上無くてはならない道具になっているように思われます。このスマホが学力に与える影響を研究した本『スマホが学力を破壊する』が最近新書版で出版され話題になっています。子ども達に与えるスマホの影響を長年にわたって調査研究したものです。ここにその著書の内容を簡略化してまとめました。是非参考にして子ども達に接してください。更に詳しくは、一読をお勧めします。

◎これは仙台市での調査です。児童・生徒の学習意欲を向上させるプロジェクトから出発しています。下記の現象が発見されましたが、肝心な点は、家庭での基本的な生活習慣です。家庭で家族がきちんと子どもと向き合うことが、子ども達の学習意欲の源泉でした。

・スマホを使うことにより睡眠時間が少なくなり、それによって学力が低下するのではない、スマホの使用それ自体が、学力の低下を引き起こしている。(睡眠時間の長短に関わらず、学力の低下が起こっている)※下段に理由
・学科に関わらず、1時間を超えて長く使えば使うほど学力低下が見られる。しかしスマホ使用を止めれば学力は再び向上する。
・なぜか、スマホ使用時間1時間未満の子どもの学力は、非所持の子どもより家庭学習時間のどの時間枠で比べても成績が上である。(魅力的な端末を使用しているにも拘らず、1時間未満で止められることは、自己の行動管理をきちんとできる自己抑制力の高い生徒ということなので、成績も良くて当然なのか?)
・スマホを4時間以上使えば、家庭で2時間以上学習しても、全くスマホを使わず、家庭学習も30分未満の生徒より成績が低い。(数学)
・スマホ所持を問う調査の回答の一つに、「友達との良好な関係を保つため」があるが、所有者でも未所有者でも学校での良好な友人関係「友達に会えるから毎日学校に行きたくなる」の回答率は、ほぼ同じである。
・今や勉強中にスマホを使って音楽を聴くだけでなく、ラインやゲーム(放置型もある)動画を見る生徒も増えている。いわゆるマルチタスク(ながら勉強)、ところが人間は一つの事にしか集中できないように、大脳機能はできている。勉強に集中すればゲーム等はできない。又ゲームに集中すれば勉強は手につかない。従ってマルチタスキングでの勉強は成果が得られない。使用アプリが多い程成績は下がる。
・ライン(マルチタスク)使用生徒では、その時間が1時間未満であっても未使用生徒とくらべて成績は低い。
・結論として、IT機器の使用は脳(前頭葉前野 ※後述参照)が活動せず、(リアルコミュニュケーションの欠如は)発達期の子ども達の脳の健全な発達が阻害される。従って学力が低下する。脳から学校での学習成果が消えるか、学校で学習できない脳になっている危惧もある。スマホゲームを止めて30分経過後も脳は以前の状態に戻っていない。「身体機能は使わないと失われる」が定説となっているが、この場合は「使わないと失われる」のではなく「使わないと破壊される」と言える。
・テレビ視聴であっても、長時間の視聴は、児童・生徒の認知機能に、マイナスの影響を与え、成人ではアルツハイマー病のリスクを増す、とのデーターがある。
・調査データーによれば、スマホを使い始めても、止めることができた子どもは極少数である。もともと学力の低い子ども達の方がライン等を使いたがる傾向にある。

※脳の前頭前野とは情報処理の中枢であり、思考の中枢でもある。外部の刺激は視覚や聴覚といった、感情情報として大脳に入り前頭前野に送られ、その意味や価値が判断され必要な行動が選択される。
「スマホが学力を破壊する」 川島隆太著 集英社新書より