会報誌「ともに」横浜だより

22.7.21 No.66

50分の4 学び直し教室 受講生

 6月28日、今日信愛塾での学びなおし最後の日だ。私は4年前からお世話になってきた。寿町で産まれて育った私は50年間、1度も勉強をして来なかった。生活をして行く上で必要な読み書き計算が出来ない。最低限の読み書きや計算が出来ない事を、いつも環境のせいにしてることを自分でも気が付いてた。問題は自分のなかにある、ただ怠けている自分を環境のせいにしていれば楽だった。ずっとそんな事を感じてはいたけど、恥ずかしくて今さら誰にも言えない。
 そんな時、ある人が本当にやる気があれば人は変われる、と言っていた。その人の言葉を聞いたときに、これが最後かもしれないと思った。ここで行動に移さないと、ずっとこのままなんじゃないかと。あと、もう1つ、知人の妹さんが亡くなる前にみんなにありがとう、大好きだよと言って亡くなったそうだ。その話を聞いた時、胸が苦しくなった。私はそんな事が言えないくらい、一生懸命に生きてこなかった、全て何かのせいにして自分の人生すら大切にしてこなかった。このままだと、私は死ぬ時に、みんなにありがとうなんて言えないだろうなと思った。きっと悔いだけが残るはずだ。変わらなきゃ、自分と少しでもちゃんと向き合ってみようと思った。一番のコンプレックスで一度もやってこなかった勉強をやってみようと思った。
 人の紹介から信愛塾での学び直しの機会をいただいた。とにかく計算が苦手で数学が頭に入ってこない。電話番号すら覚えられない程だ。暗算と掛け算がとにかく覚えられなかった。毎週通って掛け算を書いては暗算を続けて、やっと覚えることができた。たまに間違えるけど。暗算は相変わらず苦手だけど、書けばなんとか計算できるようになった。私の中で掛け算ができるようになった事は本当に大きいことだ。それと同時にやりたいと思ったことを、気持ちをちゃんと言葉にして人に伝え、行動に移すことの大切さを初めて知ったような気がする。
 学び直しを始める前までは私自身のコンプレックスは育った環境と学力のなさにあると思っていた。でも信愛塾に通った4年間にコンプレックスの原因はほかにも色々あることが分かった。色んなものが少しずつ固まって1つになっている。環境や学力は、その中の1つだった。このことは学び直しに通っていなかったら気がつかなかったと思う。学力だけじゃなくこんなことにもきづかせて貰った。これからは少しずつでも自分とちゃんと向き合って、最後にはみんなにありがとうって心から言えるような人になりたい。

無年金問題とデザイン 信愛塾スタッフ 福島周

 信愛塾に関わり始めた頃は衝撃の連続であったが、6年近く経った今も様々な衝撃があり、そして学ぶことばかりである。信愛塾のスタッフと並行してグラフィックデザインの仕事をしているがデザイナーとしても大きな影響を受け続けている。最近、ある問題でリーフレットのデザインを依頼された。「在日外国人無年金差別」だ。
 在日外国人無年金差別とは―1959年に成立した国民年金法は「日本国内の住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」として国籍条項(国籍を根拠とした制限)を設け、米国人以外の外国人を年金制度から排除した。当時日本に登録されていた外国人は約67万人、そのうちの9割が朝鮮人であったから誰を排除の標的にしたのかは自明だった。1981年に内外人平等を定めた難民条約の批准にともない、82年にようやく国籍条項が撤廃されて外国人も年金に加入できるようになった。しかし1982年1月1日時点ですでに20歳をこえていた外国籍障害者には障害福祉年金が支給されなかった。1986年4月1日に新年金法が施行され、外国人無年金者に対する唯一の経過措置がとられたことで対象者が広がった。だが保険料を追納できないなど対象になっても極めて低額の年金しか受け取れなかった人もいる。くわえて1986年4月1日時点で60歳以上であった外国人高齢者は新法の対象外だったため年金から排除され続けた。
 一方、本土復帰を果たした小笠原諸島や沖縄の住民、中国残留孤児、拉致被害者は「日本人」であるため救済措置が講じられた。また任意加入時に加入せず、その後障害を負ったものの障害年金対象者にならなかった、いわゆる学生無年金者は「特定障害者給付金制度」によってやはり救済された。しかし外国人無年金障害者は検討こそされたものの結局この制度からも弾き出された。そしてたとえ「日本人」であっても1982年1月1日以降に「日本人」になった「元」外国籍者も年金を受給することができなかった。これらの理不尽極まりない制度的差別は日本の植民地支配に端を発しており、日弁連や人種差別撤廃委員会からも救済措置を講じるよう勧告が出ている。しかし先日参加した省庁交渉でその点を問われても担当職員は最高裁判決などを盾に血の通わない「検討」の2文字を繰り返すばかりであった。結果的に2022年現在、外国籍の96歳以上の高齢者と60歳以上の障害者が年金制度から占め出されている。
 恥ずかしながらリーフレットをデザインすることになるまでこの問題を知らず、年金がないために苦しんでいる人がいる事実も知らなかった。周りの友人や知り合いに聞いてみたが「耳にしたことはある」と答えた友人が一人いただけ。残念ながら多くの人が知らずに過ごしているのではないだろうか。資料に当たり支援者の話を聞いて多くのことを知るほどに、なぜ高齢者と障害者をここまで徹底して排除し続けるのか、強い憤りを感じる。命を削り活動を続けた方、尊厳を踏みにじられ司法に訴えた方が亡くなっている。きっと声を上げられずに亡くなられた方もいるだろう。そして今も生身の人間が苦しんでいる。この理不尽で複雑な制度的差別を分かりやすく伝え、同時に無年金者の怒りや悲しみをまとい、できれば希望も感じられるリーフレットを作るにはどうしたらいいのか、悶々と悩み、あがくばかりの日々が続いている。
 現在無年金者には自治体独自の特別給付金が支給されているが、各自治体によって制度に大きなばらつきがある。兵庫県では支援者らが県や市町と幾度となく交渉した結果、県内では今年度から障害2級給付金も含め、日本人の障害年金と実質同額の給付が始まった。7月に神戸市で開かれた「兵庫県内での在日無年金差別の解決を共有する『集い』」に参加した。そして会の最後にある支援者が一言ずつ言葉を絞り出し、この様に話を締めくくった。「在日の社会問題じゃないんです。在日には選挙権も何もありません。日本の社会問題なんです」と。僕たちこそが問われているのだ。
 リーフレットが無年金問題の解決の一助となることを強く念じ、頭を抱えながら今日も明日もデザインに挑戦し続ける。