会報誌「ともに」横浜だより

22.12.22 No.69

ともに 信愛塾センター長 竹川真理子

 2022年も終わろうとしている。子どもたちや保護者からの絶え間ないSOSで一日が始まり、一日が終わる。今もそのペースは変わらない。信愛塾は社会の縮図であるといつも感じるが、社会で渦巻いている問題が、ここ信愛塾でも起きている。子どもたちや保護者たちにとっても辛い苦しい一年だった。しかし、確実に支援の輪は広がっており、善意や愛を痛感した一年でもあった。
 ある日の信愛塾は大騒ぎする子どもたちと、それに負けないスタッフの声が入り乱れ混沌とした情景となっていた。「サンタさんはいるよね~。タケちゃん先生はいると思うよね~」。少女Mの一言で今がクリスマスの季節であることを感じた。「大丈夫。サンタさんはあなたの心の中に一年中住んでいるのよ。とっておきのサプライズがもうすぐあるのよ~」と笑いながら伝えた。「約束だから、絶対だよね!」子どもたちの夢はこの時期頂点に達する。
 しかし、クリスマスどころか事情があって数か月間母国に一時帰国している子、父と母の間を行ったり来たりしている子、暴力やネグレクトの生活を何度も経験している子などもいて、子どもたちの現実はとても厳しい。だからこそ信愛塾の現場の雰囲気を肌で感じてほしいと思う。小学生が髪を金髪に染め、口や耳にたくさんのピアスの穴をあけ、一台の自転車に3人も4人も鈴なりになって坂道を疾走していく。何のためらいもない彼らの思い切りの良さにむしろ勇ましさまで感じてしまう。もちろん命にかかわるほどの危険性もある。決してやってほしくない行為であるが、何が子どもたちをそこまでさせてしまうのだろうかと考えないわけにはいかない。実際、何歩も踏み込まないと分からないこともたくさんある。
 15年ほど前から信愛塾では伴走型多言語対応相談を続けている。特に外国籍女性が抱える問題は闇が深い。彼女たちの話を「とことん聞く」。「そうよねー、その気持ちよくわかる…」と相槌を打ちながら、押し付けず、指導せず、一緒に悩み、一定の心理的距離を取りながら伴走する。あくまでも本人の力を信じながら解決に導く。私のスマホは365日24時間OPENにし彼女たちを待っている。
 新型コロナ禍3年目に入りたくさんの母親たちが仕事やパートがなくなり、生活困難な状況に陥っている。特にサービス業に従事している女性たちは大きな打撃を受けている。もともと厳しい生活の中で苦労してきたある母子家庭のフィリピンの女性は来月支払う家賃の心配をしながら最低限の生活さえ厳しいという。一斉値上げの中、暖房を取るか子どもたちの食事を取るか、どちらか一方しか選べない。信愛塾でも5~6年前から備蓄品として米、缶詰、小麦粉、油、生活用品などを揃え毎週のように配達している。また中華街にある「笑福」さんの協力を得て子ども食堂をやったり、食育研究家の「オレンジさん」、さいたま市のカレーおねえさん、南区のKMさん、教会の関係者など多くの支援者の協力を得て備蓄体制を維持している。
 先日、早朝、電話で起こされた。「タケちゃん、私くやしいです。私が日本語上手じゃないから、バカだから、夫(日本人)のクソ野郎は仕事もしないで私の(在留資格手続き)保証人にもなってくれない。叩かれないけど言葉で私をバカにする。まだ殴られたほうがまし、私にだってプライドがあります。」と訴える。彼女たちは複合した困難さを抱え、また社会とのつながりもなく孤立している。
 この一年間、安否確認を兼ねて家庭訪問をするたびに各種行政サービスや生活保護の説明をしたり、ハローワークや職業訓練校の情報を一緒になって調べたりした。そして子どもたちの日常の様子を聞き、子どもたちの成長を喜んでいる彼女たちの姿に安堵したりもした。そしてやっと迎えた年末である。
 信愛塾は子どもにも大人にも開かれた第三の居場所・スペースとして機能してきたと思う。地域社会にある信愛塾はいつも世界に繋がっているのだろう。今日もタイ、フィリピン、台湾の子どもたちからLINEが入った。個々のケースに真摯に向き合い、寄り添い、日々共にあるようにと願う。来年も子どもたちと一緒に進んでいきたい。

2022年はどんな年だったか? 信愛塾スタッフ 大石文雄

 今年もコロナで始まりコロナで終わる一年となった。小さな現場である信愛塾においてもいろいろな話題が出、たびたびスタッフ間で議論をした。
 【2月】〈ウクライナに対するロシアの侵略〉それに続くウクライナ・ロシア戦争。避難民の受け入れ、難民と戦争避難民との入管法上の扱いの違い。後ろ向きな日本の難民政策。戦争が世界大戦や核戦争などに発展する可能性の可否、未来への恐怖。国際人権や国際社会が果たす役割などが話題となった。【3月】〈水平社宣言100年〉今年は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と謳われた水平社宣言から100年を迎えた。反差別と人間の解放を求めた日本初の人権宣言でもある。【7月】〈安倍元首相狙撃事件と旧統一教会〉参議院議員選挙中に安倍元首相が狙撃された。狙撃犯が旧統一教会信者2世であることが明らかになってくると、今度は自民党と旧統一教会との癒着が明らかになってきた。被害者救済法はできたがカルト教団の解散命令にまで持っていけるのか今も関心を集めている。【8月】〈文科省・外務省交渉〉公務員の国籍条項・常勤講師制度撤廃を求める文科省・外務省交渉が行われた。2018年に人種差別撤廃委員会は国籍条項の撤廃を求める勧告を出している。政府は「法的拘束力がない」からと国際社会に背を向け続けている。「当然の法理」しか言えない官僚たちは常勤講師教員たちの声をどう受け止めたのか?〈京都地裁、ウトロ地区放火犯に懲役4年〉ヘイトスピーチがヘイトクライムに発展していったウトロ放火事件。犯行に及んだ若者はネット情報だけで在日韓国・朝鮮人に敵対感情を持つようになったという。在日の歴史を学ぶ機会がなくなってきていることも問題なのではないかと話し合った。【9月】〈安倍元首相の国葬問題〉「忖度」や「モリ・カケ・桜」などの数々の疑惑の解明もないまま、なぜ税金を使っての国葬なのか。自死者まで出ているのに疑惑は闇に葬られようとしている。〈ミサイル発射による威嚇〉米韓合同演習とそれに対抗する形で繰り返される北朝鮮のミサイル発射。負のスパイラルを繰り返す南北関係。分断克服の可能性は遠のくばかりなのか。南北分断の一要因であった日本の朝鮮植民地支配を不問にしたままバッシングは続く。【12月】〈中国での抗議行動の拡大》ゼロコロナ対策への抗議行動が中国各地に広がる。習近平一強体制と民主化の功罪。米中関係の悪化、中国と台湾との軍事的緊張。日本で暮らしている中国や台湾出身の子どもたちへの安全の配慮。東アジアの平和的未来についての議論は続く。〈敵基地攻撃へとエスカレートしていく防衛戦略〉防衛戦略や軍事費など重要課題を閣議決定で決めてしまう岸田政権。専守防衛から敵基地攻撃へ。日本の侵略の歴史から何も学んでないのだろうか。〈内閣支持率の急低下〉増税による防衛費支出や相次ぐ閣僚辞任などで低下の一途をたどる岸田内閣支持率25%(毎日2022.12.18)、31%(朝日2022.12.20)。女性差別やヘイト発言を繰り返してきた杉田水脈議員やパパ活の吉川赳議員なども今だ居座り続けている。旧統一教会にどっぷりつかってきた議員も同様だ。ここまで腐りきっても居残れるという日本の国会も不思議だ。もはや政治の劣化は否めない。
 今年一年を振り返ってみると、なんといっても人権侵害の頂点にある戦争が現実のものとして迫ってきた。テレビ画面には建物の破壊だけでなく、拷問や密告や処刑などという残虐な話や人々が嘆き悲しむ姿まで映し出される。目を覆いたくなっても目をそらしてはならない、且つこれに慣れっこになってはいけないという葛藤が今も続いている。平和な世界がたちどころに崩れていく戦争の恐怖を現実の出来事として受け止めなくてはならない。日本の学校にいるロシアの子、ウクライナの子にどう戦争の事実を伝えたらいいのか?かつて日本もアジアの人々に同じような苦しみを与えた事実を省察しつつこの問題に答えを見出していかなければならない。子どもに対する差別やいじめは何としても許してはならない。教室や子どもたちの社会でいじめが起こらないよう大人はアンテナを張り巡らさなければならない。そのためにも一日も早い戦争の終結を願うばかりだ。来年から非常任理事国入りする日本の果たす役割も大きいはずだ。もちろんその前に国際社会から非難されている数々の制度的差別を払しょくしてから国連に向かうべきだろう。日本の植民地支配や加害の歴史の反省を欠いたアジアの人々に対する歴史認識の欠如も、いま改めて問い直されている。関東大震災時における朝鮮人・中国人の虐殺や、植民地支配の結果としての日本への定住を余儀なくされた韓国・朝鮮人への歴史理解の無知が、ヘイトスピーチやヘイトクライムを生む要因にもなっている。来年は関東大震災から100年を迎える。歴史の教訓を地域社会に生かしていくことはとても大切な仕事だ。今、防衛増税反対という声にもかかわらず際限なく防衛力が増大されようとしている。世界の人々と平和に生きることに主眼を置いた憲法前文の平和主義の実現にこそ能力やお金を使うべきではないのか。
 長く続いた安倍政権やその亜流ともいえる岸田自公政権は旧統一教会との癒着や権力腐敗を生み出し政治の劣化をもたらしてきた。サッカーのワールドカップに参加している多様性に富んだ選手たちの姿やその政治的パフォーマンスなどを見ても世界は植民地主義やレイシズムを越えて反差別への方向に向かっているように思える。コロナや戦争で明け暮れた2022年から人権尊重と人々との共生を大事にする2023年へ向かうことを願ってやまない。悲しみに暮れた子どもたちの顔を希望に満ちた表情に変えていくことは今を生きる大人の役割ではないか。子どもたちの笑顔が一時だけでなく末永く続くよう、信愛塾での議論はこれからも続くであろう。

わたしの今年、わたしの来年。 ともに編集部