会報誌「ともに」横浜だより

23.10.24 No.73

【関東大震災100年】朝鮮人・中国人虐殺の事実をどう受け継いでいくのか? 信愛塾スタッフ 大石文雄

 今年の9月1日は関東大震災が起こってちょうど100年。各地でも様々な慰霊祭や集会が開かれマスコミでもそのことを大きく取り上げてきた。中でも震災直後に起こった「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などという流言飛語により多くの朝鮮人や中国人が、軍や警察や自警団によって殺されたという事実は重く受け止めざるを得ない。とりわけ信愛塾のある中村町は犠牲者が多く出た地域として知られている。しかも震災の年に書かれた「震災作文」は当時の子どもたちが目にした震災と朝鮮人虐殺の事実を記した第一級の資料として私たちは知っておかなければならないだろう。

 「(1日)おまわりさんが「朝鮮人が刃物をもってくるから、来たら殺してください」と言って来ました。ぼくはそれを聞いたとき、びっくりしました。ぼくは兄さんとナイフをもって竹林に行って、まっすぐでじょうぶな竹やりを三本こしらえてくると、むこうの方で、ほうほうという声がしますので行ってみると、それは朝鮮人のくるのをまっている人でした。(南吉田第二小)」

 「(2日)それから少したって、中村橋の所へ行くと大勢いるから行ってみると朝鮮人がぶたれていた。こんどは川の中へ投げ込んだ。するとおよいだ。日本人がどんどん追いかけて来て両岸から一人づつ飛び込んで、とび口で頭をつっとしたら、とうとう死んでしまった。それから、家へ帰ってみた。すると朝鮮人がころされているというので見に行ったら、頭に十か所ぐらい切られていた。また、首の所が一寸ぐらいで落ちる。(南吉田第二小)」

 震災作文にはこのような朝鮮人虐殺の目撃証言が数多く出てくる。

 ところがこのような事実に目をつぶり、「朝鮮人虐殺は無かった」とか「朝鮮人が殺されたのは事実だがテロへの反撃だから正当防衛だ」とかいう「虐殺否定」論がまことしやかに語られてきた。「歴史修正主義」と言われるものだ。歴史研究者によって何年も積み重ねられてきた膨大な研究の成果などお構いなく、「虐殺否定」論をぶつけると、必ず奇妙な成果が出てくる。とりわけ政治勢力と結びつくと力を発揮する。小池百合子東京都知事が語る「様々な内容が史実として書かれていると承知している。だからこそ、何が明白な事実かは歴史家がひもとくものだ」、故に虐殺は認めない、追悼文も送らないというのも立派な成果である。これが歴史修正主義の狙いなのである。東京都の人権施策担当職員が知事の発言を忖度して、朝鮮人虐殺を事実とした動画の上映を中止させた。これも成果である。2012年横浜市では市内の全中学生が副読本として使っていた教材に「虐殺と書かれている」と市議会議員が取り上げ、生徒から副読本全てを回収し溶解処分にするという事件が起こった。どれほどの税金が無駄になったのか明らかではないが、これも歴史修正主義の成果なのである。

 2008年内閣府中央防災会議が作成した報告書には関東大震災時における朝鮮人・中国人虐殺の事実が詳しく書かれている。そこには「震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった」。「軍、警察、市民とも例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使した」「日本の災害史上、最悪の事態」だったと記している。「過去の反省と民族差別解消の努力」の必要性を確認し、「その上で流言の発生、そして自然災害とテロの混同が現在も生じ得る」と教訓化しているのである。研究者は「虐殺があったことは周知の事実」で当時の内務省文書や司法省による「調査書」(「司法省報告」)の存在、取り締まりの中で亀戸警察署内で朝鮮人を刺殺したことを記した文書の存在などいくつも挙げている。

 このような様々な努力や取り組みにもかかわらず、2023年8月、松野博一官房長官は会見で「政府として調査してきたかぎり、事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と答えている。つまり政府としては歴史を反省して負の教訓を現代に生かそうとするのではなく、政府としての歴史の責任をこれからも回避し続けよういう魂胆なのだろう。「ガス室はなかった」という「ホロコースト否定」論をドイツ政府が肯定したとしたら、戦後ドイツはヨーロッパの中でどうなっていたであろう。なのに日本政府は事件から100年たっても歴史修正主義の枠組みからいまだに抜け出すことができないでいる。

 では私たちはどうしたらいいだろう?確かに歴史の専門家でもない一人の市民が「虐殺否定」論を一つ一つ反論し事実を検証していくことは簡単なことではない。地域で起こった歴史として関東大震災時における朝鮮人・中国人虐殺の歴史をもう少し教育の場でしっかりと学ぶことができないものかと思う。少なくとも中学校の歴史教科書には「つくる会」系の歴史教科書を含めても関東大震災時における朝鮮人・中国人「虐殺否定」論などは登場してこない。学問の世界では「虐殺否定」論は全否定されているからである。そんな中で「なぜ市民はデマを簡単に信じてしまったのだろうか?」「植民地支配に対する恐れがあったのではないか?」「自警団とはどんな組織だったのか?」「自警団の中で在郷軍人はどんな役割を果たしたのか?」などいろいろな疑問が出てきて、「考える歴史」に発展していったらさらに豊かなものになっていくのではないかと思う。負の歴史にも目をそらさず、地域で起こってしまった悲しくおぞましい歴史を教訓化する中で世界につながる素晴らしいものを見つけ出していけたらと願う。

はじめまして“ルアン”です マリア―ノ ルアン

はじめまして。信愛塾ではルアンと呼ばれています。
信愛塾との出会いは10年以上も前で、当時から様々なことで大変お世話になっていました。以来時々お手伝いをしていましたが、現在は週一でボランティアをしています。
信愛塾の雰囲気は昔から何も変わらず、いつ来ても賑やかでとても楽しいです。
それは竹川先生や大石さん、他のボランティアの先生方がいてくれるおかげだし、何より子供たちがのびのび過ごしている証拠なんだろうなと思います。
小学生たちも上の学生たちも、とにかく気軽に話してくれるんです。私のほうが身構えていたんじゃないかって思うくらい。

 ボランティアに来た当初も、あんまり最初からガツガツ話しかけに行って壁作られちゃよくないよな、と思って様子見ながら子供たちと接していたけど、思ったよりもはやいペースで打ち解けて普通に話せるものだから、正直驚いた日もありました。
私は小学生たちと接することが多いのですが、皆それぞれ思い思いに私と仲良くしてくれているなと思います。名前を何度も呼んでくれたり、折り紙で作ったものをくれたり、特技を見せてくれたり、私のおふざけでお腹を抱えて笑って「もう1回! もう一回やって!」なんておねだりされる時なんかもあって、嬉しい限りです。

 宿題中は集中出来ない時も多いけれど、それでも声を掛け続けて見守っていれば最後までやり切っているし、自分でも(今年の6月からボランティアを始めたばかりでまだまだ少ししか子供たちを見れていないけど)この子はここがよく出来る様になってきた、あるいは、やればしっかり出来るんだなという気付きを得ることが時々あって早速こっそり感慨深さをおぼえたりもしています。

 例えば、ある子は音読の宿題の時とても声が小さく、文章も途切れ途切れに読んでいたけれど、その日はハキハキと詰まることなく読んでくれました。「その読み方いいね!」と合いの手を入れると背筋を伸ばしてハキハキした読み方を継続してくれて、それが嬉しくて何回も「いいね!上手だね!聞きやすかった!」と言って手を叩いて喜んでしまいました。

 私の今現在の生活では、子供達と接する機会というのは一切ないので、信愛塾という場所は本当にいつも新鮮な気持ちになれます。子供達の優しさから学びを得ることもあるし、似たような境遇の子達の話を聞く時は、自分なりの考えを構築し、逆に崩し、向き合う良いきっかけにもなります。

 子供たちについてこうは書いたけれど、最後までやり遂げることが出来ないこと、自分が苦手なこと、嫌なことに直面して動けなくなる日もきっとあることだろうと思います。そんな時であっても見守っていきたいし、これからもこうした関わりの中で、他者の成長も己の成長も感じられるよう、信愛塾での時間を大切にしていきたいです。