会報誌「ともに」横浜だより

24.2.20 No.75

能登地震と外国人被災者 福島移住女性支援ネットワーク≪EIWAN≫代表 佐藤信行

 新年1月1日、能登地震が起こった。テレビ画面に映し出された崩壊した建物、寸断された道路、そして津波。それを呆然と見るしかなかった私は、13年前の3・11東日本大震災で破壊された街々の光景が蘇り、さらに101年前の9・1関東大震災のことが頭の中でよぎった。

●能登地震で被災した外国人

 能登半島および石川県の被災者、とりわけ外国人被災者については、いくつかの新聞報道以外に、まだ断片的な情報しか得られていない。

 石川県には外国人集住地域がなく、いわば「外国人過疎地域」である。県内の外国人住民数は、コロナ前の2019年は16,881人であり、コロナ禍の2020年・21年に減少したが、2022年末に17,161人、23年6月末には18,302人と、全国と同様に増加中であった。被害が甚大であった七尾市には724人の外国人、輪島市には193人、志賀町には156人、羽咋市には149人、能登町には141人、穴水町には130人、珠洲市には71人の外国人が暮らしていた。

 在留資格別では、技能実習生4,139人、永住者3,186人、留学生2,103人、特定技能1,445人……となり、国籍別ではベトナム4,580人、中国3,643人、フィリピン1,287人、韓国1,201人……となっていた(2022年末)。つまり、ベトナム人の技能実習生が一番多いこと、彼ら彼女らの居住地(勤務地)とその周辺は、地震・津波被害が甚大であった地域であった。

 今後どのような支援ができるか、北陸地方の教会や市民団体と連絡をとりながら、いまだ模索中である。

●東日本大震災の経験から

 2011年3月、私たち「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」は、東北の被災地に向かった。1995年阪神・淡路大震災のときは、関西地方や兵庫県で外国人の人権獲得に取り組んでいる教会関係団体やNGOがすでにあったから、そこに支援金を送り、ボランティアを派遣することができた。しかし、被災した福島・宮城・岩手県には、そのような教会組織もNGOもなかったからである。それは、今回の石川県でも同様である。

 2011年3月、震災前の福島・宮城・岩手県では、在日コリアンや留学生、技能実習生が暮らしていた一方、広範囲に広がる農村・漁村には、日本人と結婚した中国・韓国・フィリピン出身の移住女性たちが点在して暮らしていた。しかも彼女たちは、地域社会では周縁化され不可視の存在とされていた。

 私たちは同年9月、仙台市で外国人被災者支援プロジェクトを起ち上げ、津波被害が甚大であった宮城県沿岸部で本格的な支援活動を始めた。その中で、石巻と気仙沼の市役所の協力のもとで、東北大学・東北学院大学の研究者たちと外国人被害実態調査をおこなうことができた(2012年、13年)。

 このような災害時の外国人調査は全国で初めてのことであたが、両市ともアンケート回答者の90%近くが国際結婚移住者であった。彼女たちの場合、日本語での「会話」では「まったく問題がない/あまり問題はない」61%になるが、日本語を「読む」こと42%、日本語で「書く」こと30%、と下降していく。そして震災当日、「防災無線で言っている意味がわからなかった」と回答した人は55%、「高台」という言葉を「知らなかった」人は39%にも上った。つまり3月11日、沿岸部では「津波が来ます、高台に逃げてください」という放送が何回も流されたが、移住女性や技能実習生たちの多くはそれを理解できなかったのである。

 震災において外国人は、制度上の差別はないが、しかし、「災害弱者」とならざるをえない。それは「言葉の壁」であり、構造的な社会的・経済的差別システムに放置されているからである。

●移住女性たちの困難さ

 2013年夏、ある移住女性と電話で面接日の打ち合わせをしているとき、どうも日本語が十分でないので、仙台から通訳を同行して市役所で会うことにした。面接の最初に、「きょうは通訳の方がいますので、あなたが困っていること、悩んでいることを、タガログ語で十分に話してください」と言うと、彼女は安心したように、語り始めた。彼女がフィリピンから結婚で日本に来たのは10年前。日本人の夫の両親と同居し、3人の子どもを産み育ててきた。そして、夫の両親とのこと、子どものことで……と、問題の核心に入ろうとする時、彼女は急にタガログ語から日本語、しかも、たどたどしい日本語になる。その日本語を遮って、「いや、きょうは通訳がいるから、日本語ではなく、タガログ語で話してください」と私が促すと、彼女はまたタガログ語で話しながら、しかし途中で日本語に転換する……。こういうことが何回も繰り返され、彼女も、通訳も、私たちも疲れ果てて2時間半に及んだ面接を、いったん打ち切るしかなかった。しかしその後、彼女との連絡は途絶し、再び会うことはかなわなかった。

 彼女は、激震と津波だけではなく、日本の構造的差別によって「言葉」まで奪われてしまったのである。

 

変わらない日常へ「帰宅」 ボランティアスタッフ 横川玲奈

 信愛塾の扉をガラガラと開けると、そこにはいつものテーブルと、椅子と、宿題をする小学生の姿が。後ろには竹ちゃん先生がいて、小学生たちが「たけのこ!」と愛称で呼ぶと、「はいはい」と寄っていく。賑やかで、一年前と変わらない風景にホッとする。

 高校3年時にボランティアを信愛塾でしていたけれど、高校卒業後は台湾の大学に進学したため、今は年に一度帰国の間に信愛塾にお邪魔する。一年に一度の事だから、子どもたちも私のことを忘れて、人見知りするかなと私はドキドキしながら行くけれど、子どもたちには全然そんな素振りはない。ガンガン話しかけられて、遊んでいるうちに、ドキドキしていたのが嘘みたいに思える。

 そして、嬉しいのは台湾生活で中国語が話せるようになったので、信愛塾の子たちと中国語が話せるようになったこと!

 すごく元気のいいNちゃんも、「えー!中国語話せるの!?」と驚いて、それからしばらく中国語で2人で話す。私は「大学生は中学生よりも休みが長いんだよー」と自慢して、「えーいいなあ!」と羨ましそうにするNちゃんをからかう。ひと段落ついたところで、Nちゃんが「私ね、すごい内向的なんだよ!」という。

 さっきからのやりとりから、どう見ても元気溌剌で、恥ずかしがり屋なんて思えなかったから、「そんな事ないでしょ!こんなに私に話しかけるのに!?」と彼女をからかうと、真面目な顔で「ここは家族だから」と彼女が言う。外では内向的なんだよ、と言う事らしい。

 そうか、家族だからか。

 ふと、変わらない信愛塾の姿を思う。もちろん私が高校の時知り合った小学生は今は立派に制服を着こなす中学生になって、新しい子が来ていたり、昔来ていた子は引っ越して来なくなっていたり、それぞれの子の身長も、きっと心も成長して変わっているけれど、信愛塾のたけちゃん先生の存在、先生たちの存在、子どもたちで活気溢れる空間は、初めて信愛塾に行った5年前と変わってない。

 高校から卒業してからの5年間、私は変化が欲しくて台湾に行き、様々な国に行き、自分自身にも環境にも変化を求めた。しかし、そんな日々がどんなに刺激的でも、言語が微妙にわからない、世間の話題に微妙についていけない、変わりゆく人間関係、そんな絶妙なわからなさに疲れてしまいそうになる。その反動か、何も変わらない空間を求めて、一年に一度、日本に帰国して家で少しの間過ごす。そうして安心して、また海外に行く。

 「変わらない」ってとても素敵な事で、「変わる」と同じほど、もしかしたら変わるよりももっと人の手を必要とするのかもしれない。信愛塾の変わらない日常から「家族だから」とNちゃんの何気ない一言が生まれるのかもしれない。「変わらない」って不思議な安心感に包んでくれる。Nちゃん、信愛塾のみんな、またここで会おうね。

 

オレンジさんが『食』のお話をしてくれました! 食育研究家 長島由佳

●食は、『人権』にもつながっています。

 世の中にはいろいろな人がいますね。男性、女性、大人、子供、高齢者、病と闘っている人、大規模災害に見まわれた人、ホームレスの人、生活困窮者、障害児・者、いろいろな職業の人、刑を終えて出所した人、LGBT、そのほかにもいろいろなルーツを持つ人達がいます。その人達の食はさまざまですね。

 『 想像力を働かせてみましょう!!』

 あなた自身の身近なそれぞれの家庭や地方や年代によってもメニューやレシピは本当に様々です。

●食は、『学習』の中でも、いろいろな形の学びになります。

 家庭科の調理実習などだけでなく、理科では〔植物の育成・酸性とアルカリ性の事や化学変化など〕、数学では〔料理のカロリー計算や買い物計算の単位や割合の%など〕、社会では〔日本や世界の地理で生産地や貿易のこと・食の歴史など〕、保健体育では〔体づくり、運動と栄養など〕、道徳では〔食事や生活のマナー、他人との共生など〕。家庭科では、バランスのよいお弁当づくり〔主食:主菜:副菜が3:1:2〕の実習をしたことないですか? また、学校の給食の思い出は誰にもあると思います。学校では、誰でもそれらのことを平等に学んでいます!

●お菓子や嗜好品だって大切なんですよ!

 私たちは、お菓子や嗜好品を食べたりすると、笑顔になりますよね。

 3食の食事だけでなく、食べ過ぎないようにすれば、お菓子や嗜好品だって、私たちの気持ちを盛り上げてくれたり、ほっとした気持ちにしてくれたりする大切なものです。甘いものを食べると、元気が出たり良い考えが浮かんだりしたことないですか?「楽しく適度に」食事に影響が出ないよう、適切な量を摂ることが大切です。

 朝食はからだを目覚めさせる大切な役割! 昼食は午後からの活動を支える! 夕食は明日の自分のための食事! 間食は運動や勉強の合間に! 何より、私たちは小さいときから、そうやって大切にされてきたことに気づいてください!

 

編集後記 信愛塾センター長 竹川真理子

 今日は県立高校の受験日です。昨夜は中学生たちとカツ丼(カツカレーも)を食べ「絶対合格!!!」とエールを送った。応援しているスタッフ達に気丈にふるまう受験生にどこにいても、何をしていても駆けつけるから不安なときは連絡してねと励ました。

 15の春はまだちょっと先だが、きっとみんなに春がくる。

 下の記事の王遠偉くんも12年前に同じような高校受験を経験している。何度も面接練習をやり、日本語の教科学習を繰り返しました。彼の頑張りに逆に私が励まされ、今があるのです。今後の王くんの活躍に期待したい!!!