会報誌「ともに」横浜だより

24.8.29 No.78

半年が過ぎる・・・ 信愛塾スタッフ 王 遠偉

2月から信愛塾の専従スタッフとして、もう半年が過ぎました。子ども達を巡るたくさんの課題があり、あっという間に時間が過ぎていきました。専従スタッフになる以前から私は信愛塾のボランティアスタッフとして活動をして来ました。ボランティアスタッフとして活動をし始めたのは高校生の頃です。最初は子どもたちに母語を使って日本語を教えたり、学校の宿題を一緒にやったり、そして勉強が終わった後は一緒に遊んだりしました。それから徐々に事務作業を手伝ったりセンター長に連れられて講演会で自分のヒストリーを話したりする中で、信愛塾の取り組む中身も多岐にわたっていることがわかってきました。

ただ単純に勉強を教えるだけじゃ駄目だと思うようになったのは大学生の頃でした。みんながみんなペンを持って机に向かってくれるとは限りません。大袈裟に言ってしまえばある程度の教育を受けていれば誰だって勉強を教えることは出来ると私は思います。しかし信愛塾に来る子どもたちはそう素直にはいきません。ペンを持たせることから始めなければいけないからです。何故この子はペンを握ろうとしないのか、そのバックグラウンドにどんなことが隠されているのかと考えるようになったのです。

ある昆虫大好きな小学生がいます。彼には弟がいます。彼らは塾に来るとすぐに私の周りにやってきます。何故ならそれは私が中国語を話せるのと、遊んでくれて楽しいし、一緒に居て安心するのだと私は思うのです。兄は来塾の度に何かの昆虫を手にしています。バッタ、カマキリ、セミなど、持って来る昆虫はいつも違っています。私が彼に昆虫の話をすると彼は目を光らせて私を見つめるのですが、それ以外の話になると、全く反応をしてくれません。弟の方はランドセルを置き、すぐにオモチャを手にして遊び始めます。黙々と遊んでいる時は静かですが、兄が時折り弟が遊んでいるオモチャをぐちゃぐちゃにして、弟はそれを元に戻して、兄はまたそれをぐちゃぐちゃにします。何度か繰り返しているうちに、弟は段々とイライラし始め、机を叩いて、オモチャにあたり、オモチャを投げ、「うぅー」と唸り声を上げます。信愛塾は夏休み期間でも学習支援をしています。その兄弟も休むこと無く信愛塾に来ています。当然のこととして、学校からは夏休みの宿題が出されているはずですが、しかし彼らは手ぶらで信愛塾に来ています。家で夏休みの宿題するのは多分無理なのでしょう。父は日中仕事に出掛け、母は中国に帰国中。彼らはおばあちゃんの家に預けられ生活をしています。おばあちゃんは日本語が話せないし、読めない。唯一日本語が分かる叔母さんはもちろん仕事があるから宿題を見ていられない。そうすると彼らが自分自身だけで宿題を終わらせるのは恐らく不可能なのではないでしょうか。

 信愛塾では何かしらの課題を持ってる子どもが年々増えています。11での対応をしなければ安全を守れない子どももいます。命に関わる事案も増えています。そんな中で私たちにはより専門的なスキルが要求されているのだと思います。専従スタッフとして半年間、ボランティアをしていた頃より専門的となりかつ責任の重みは増しています。これからも常に緊張感を持ち、子ども達にとって安心安全の居場所作りをしていきたいと思います。

ベルリンと出会い 信愛塾ボランティアスタッフ 福島 周

「君はアフガニスタン人か?1年間のベルリン滞在の初日にケバブ屋の店主からかけられた言葉だ。昨年3月に信愛塾の活動に一区切りつけ、今年の5月末までの1年間、ベルリンに滞在していた。EUの中心的存在であるドイツ。経済こそ低調ではあるが自国では望めないチャンスを求めて移民が、戦争と紛争から逃れるために難民が特にベルリンには集まって来ている。もちろんアフガニスタン人も多い。クセの強い髪と髭面の私を見た店主のジョークだと思ったが他の店でも同じことを言われたので、案外ジョークでもないのかもしれない。2回とも笑って「日本人です」と返したが日本人ではない人間に見られたことが嬉しかった。見た目も属性も関係なく、何者でもない自分。そして他人は他人、自分は自分というベルリンの住民達。ベルリンで自由を感じ、一方で言葉には散々苦労したが人との出会いに恵まれていつも助けてもらっていた。ルーマニア、アメリカ、イラン、メキシコ、中国、ベネズエラ、ロシア、ポーランド、etc...。その中でも特に仲良くなったのは難民としてベルリンに住むウクライナとシリアの友人である。

ウクライナ人のSとは昨年6月に出会い、親しくなるにつれて戦争についても話すようになった。戦争が始まってまもなく、ロシアの国境に近いチェルニヒウにあった実家にミサイルが落ちた。本人は仕事をしていたキーウからベルリン、母親はツテを頼って他の都市に。そして父親は前線へ。しかしSはプーチンだけでなくウクライナ政府にも憤慨していた。彼がウクライナの政治を説明するときには「Korruption (汚職)」という言葉を何度も口にした。汚職がウクライナのEU加盟を阻む一つの理由になっている。そして彼は言う。過去の政府は腐敗していたがそれでもロシアと戦争にはならなかった。今の政権になって戦争が始まり、政治家は汚職を続け、しかも戦地に行くことはない。犠牲になるのは普通の人々だ。「Warum(なぜ)?」と吐き出したそれは問いではなく悲しさが混じった怒りであり、彼の表情も言葉と同じ色を帯びていた。それらを僕は忘れない。

飛行機にもミサイルにも「fliegen(飛ぶ)」という同じ単語を使うことを知って二人で大笑いし、仕事や恋愛、これからのことについても話した。「もし戦争が終わったらウクライナに帰りたい?」と聞くと、「ここで一から生活を始め、苦労も努力もして今の環境を手に入れた。だからここで暮らし続けたい」のだと。そして 「大きな夢じゃないけれど」と前置きした上で「恋人を作って結婚して家族を築き、そしてウクライナにいる両親をドイツに呼んで一緒に暮らしたい。小さくて普通の夢でいい。けれどそれが叶えたい夢なんだ」。「じゃあ次に会うときはSとパートナーと両親、そして子どもで6人かな?」と返すとSは少し照れた表情で笑っていた。ささやかで普通な夢を難しくするのが戦争であり、そして大陸では戦争と紛争がとても近くに感じられた。

日本ではウクライナに限らず難民と直接話す機会を持つ人は多くない。Sが語ってくれたことはあくまで一人のウクライナ人としての意見でしかないが、だからこそ伝える意味がある言葉だとも思う。「ともに」で共有したいと思ったのはそんな理由からだ。

さて、ところ変わって横浜市南区中村町。ここにはベルリンとはまた違う多様性が満ち満ちている。初めて外国人として生活して言語にも苦労したことで、信愛塾に通う子ども達の言葉による苦労を今更だが少しは理解できたと思う。そんな経験や思いを胸に、信愛塾に集う人達と改めて「zusammen(ともに)」進んでいきたい。

―2024年度人権課題相談員人材育成事業―

現在、信愛塾では県の人権課題相談員人材育成事業として月1回の連続講座を行っています。

 在日外国人当事者も外国人と関わる様々な仕事をしている人も講師として登場します。

 第4回(2024725日)育成研修では信愛塾スタッフの王遠偉さんが中学1年生で日本に来日して以来、どのようなことで苦労して頑張ってきたか、そして現在の心境などを語りました。第5回目は(2024822日)フィリピン人のジョシさんが母親として日本での子育てや日々の生活の中で感じたことなどを発表しました。言葉がわからない中で苦労しながらもたくましく生活してきた話はユーモアもあり、感動的でした。QAでは、たくさんの質問も出て活発な議論がありました。

編集後記

炎暑の夏も終わりが近づきつつある。子ども達を巡る事案は後をたたない。夏休み中、気になる家族には安否確認を繰り返した。中学生時代から数年間引き籠り状態にある少女はこの猛暑の中、自室で何を考え、何をして毎日を過ごしていたのか心配になった。自分の思っている事を、困っている事を、助けて欲しい事を言語化する事が難しく、社会から孤立している子ども達はたくさんいる。無理に言語化しなくても一緒に過ごすだけでも伝わってくる事はある。大丈夫、大丈夫と背中を摩りながら無言で私からのメッセージを伝えた。(信愛塾センター長 竹川真理子)

今年の夏は8.23省庁交渉に追われた。20188月人種差別撤廃委員会の日本審査では公務員の国籍要件の撤廃を求める勧告が出されたが、政府の動きは鈍い。学校や役所など公的な場で国籍の違いを理由に差別することなどは断じて許されない。人権は国境を越えて世界から監視されている。(信愛塾事務局長 大石文雄)