25.4.30 No.82
- 『 日々 』
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2025年も三分の一の時が過ぎ、私も専従スタッフとして1年が過ぎました。前回「ともに」にて執筆したのも既に昨年8月のことでした。あの時の昆虫少年とその弟は少しですが鉛筆を握るようになってきました。最近はあまり信愛塾にはこれていませんが、おばあちゃんとはたまに連絡を取り合って情報交換をし、家庭内ではその兄弟たちは自力で学校の宿題をこなしているみたいです。まだまだ心配なところがありますが、とりあえず小さい一歩ですが、彼らなりに前に向かって進んでいることに対してほっとしています。
昨年は信愛塾の46周年の集会やクラウドファンディングなど大きなイベントがあり、大小様々な規模の研修会や映画のトークイベントなど、たくさんの集会に参加してきました。もちろんどの集会も私にとっては貴重な経験でした。その中で特に印象に残ったのは、ある学校の授業見学の時に出会った1人の中国人児童のことでした。
前もってその子のことについて色々と聞いてはいましたが、実際にその子に会ったのは授業見学が初めてでした。教室に入って全体を見渡し、そしてすぐにある子に目線が行きました。他の児童は皆先生の話を聞いて、手を動かし、何か課題に取り組んでいますが、1人だけタブレット端末を手に器用にディスプレイをタップしています。何をやっているのだろうと思いながら声を掛ける前にしばらく観察することにしました。学校用のタブレット端末だから色々と制限があり、大したことが出来ないのだろうと思っていましたが、時にはYouTubeでゲームに関する動画を見たり、時にはブラウザでプレイできるゲームをしたり、時には地図アプリを開いてある場所を探したりしていました。彼は地図アプリで一番時間をかけて見ていました。なんでそんなに地図アプリを見つめているのかを首をかしげながら私もそれに注視していました。地図アプリで表示されているのは中国の地図でした。あとから知ったのですが、彼は自分が住んでいた場所を地図アプリで見ていました。またしばらく観察をしてから、私はついにその子に中国語で「なにをしてるの?」と声をかけました。そしたら彼は漫画に出てくるような感じで目を大きく開いて、身体も少し後ろに倒れ、口も開くほど驚いていました。私も予想しなかった彼の反応に対して思わず「え~」と返しました。これが私と彼とのファーストコンタクトでした。
何故彼は授業中にタブレットで動画やゲーム等授業に関係ないことをするのか?何故彼は地図アプリで自分の故郷を見ているのか?私は彼の気持ちをなんとなく理解しているつもりでいます。私も彼と同じような経験をしたからです。タブレットこそは無かったが、授業中は先生が話していることが分からず、机にうつ伏せで寝たり、「何故日本に来てしまったのだろう」と思いながら夜眠れずの日もありました。授業見学を境に彼は信愛塾に来るようになりました。彼と接しているうちに、「なんとなく」が「確実」に変わっていきました。
彼が信愛塾に来て4ヶ月ぐらいなります。相変わらず鉛筆を握ってくれません。それでも構わないと私は思っています。まずは彼の複雑に絡み合った心の糸を解きほぐしていかないといけないと思います。少しずつだけど彼も私に色んなことを話してくれますが、まだまだ心の内に秘めていることは話してくれません。持久戦になるかもしれませんが、私と彼の『日々』はまだまだ続きます。
- 追悼 登家勝也先生のこと
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神奈川外キ連(正式名:外国人住民基本法の制定を求める神奈川キリスト者連絡会)代表の登家勝也牧師が4月9日にお亡くなりになった。95年の生涯であった。登家先生は横浜桐畑教会の牧師を長く勤めてきただけでなく、信愛塾を物心両面にわたって支えてくださり、しかも、民族差別の撤廃や外国人との共生にも積極的にかかわり続けてくださったキリスト者でる。反町にある横浜桐畑教会の教会堂で信愛塾の支援の訴えをさせてもらったこと、公務員の国籍条項撤廃の訴えまでさせてもらったことなどが思い出される。登家先生はとても穏やかな方で、いつもにこやかに人の話に耳を傾けてくださっていた。
でも今思い返すとあの穏やかな表情の裏には外国人差別や排外主義に対する激しい怒り、限りない人間愛や共に生きようという熱い想いが秘められていたのではないだろうかと思う。葬儀(祈祷会)では登家先生が横浜桐畑教会を心から愛していたという話も聞いた。勿論そうなのだが、でも僕はそれだけでないキリスト者としての矜持、差別をなくし共に生きようと言う熱い志をもって生きてきた人ではないかと感じている。
- 木下川スタディツアー
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かねてから一度訪ねてみたいと思っていた木下川(墨田区社会福祉会館)の産業・教育資料室に行くことができた。被差別部落の代表的産業である皮革産業を単に言葉だけで知っていたという自分の無知をひどく恥ずかしく感じた。「皮鞣し」という作業がどういうものか、重労働であり、様々な工程を経て商品としての革製品になっていくことも学んだ。この過程に人間の尊厳が込められているのだ。生徒会をやっていた中学時代の友人は進学をあきらめこの仕事をするために故郷を離れた。せめて心の中だけでも「共に生きる」友人として繋がっていたいと思う。(信愛塾スタッフ 大石文雄)
豚の皮の清掃過程について映像で拝見しましたが、その工程の丁寧さや手間のかかり方に大変驚かされました。想像以上に細かい作業が行われており、衛生面への配慮や作業者の技術力の高さに感心しました。普段なかなか知ることのできない場面を映像を通して学ぶことができ、とても貴重な経験となりました。(高校生 ヨシ)
今回の訪問で印象深かったのは皮革工場を紹介する映像です。これまで皮が革になっていく過程を考えてみたこともなかったのですが映像をみて様々なことに驚かされました。工場に運び込まれる豚の皮の大きさ。毛を溶かしたりなめしたりするためのいくつものとても大きな機械の数々。水を吸い込んで重くなった皮を機械から機械へと処理していく様子。皮と機械と人が織りなすダイナミックで迫力のある光景はすごく印象が強く、とても魅了されるものでした。 過酷な差別の状況や歴史だけでなく、そこで育まれた優れた文化や技術を知ることも大事なことだと思いましたし、自分があまり知らない差別や人権のテーマを学ぶ必要性も強く感じました。今度はぜひ工場などの現場も見学してみたいです。ありがとうございました。(信愛塾スタッフ 福島周)
- ~ある日の相談室から~
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新年度に入り続々と相談が入る。乳幼児からお年寄りまでたくさんの困難を背負った人々からの生活、教育、就職、心の悩みなど命に関わる相談も寄せられ、時には海外からの連絡もあり落ち着く暇もない。昨年度は1168件の相談が寄せられた。朝早くの連絡に今日も起こされ、「たけちゃん先生、誰に相談していいか分からなくて電話してしまいました、ごめんね、 急に涙が出て止まらない、こんなことは初めてです。今、近所の公園にいます。怖くて仕方ないです、実は会社でね・・・」と、30分ほど話したあとランチを一緒に食べる約束をして電話を切った。上司からのパワハラで悩む入社して1年目の青年からの相談でした。彼に限らず信愛塾出身者からの相談は多い。ある12歳の少年はダブルワークをする母を心配して、「僕は中学を卒業したら働きたいよ」と言った。いつも信愛塾からお米や缶詰を貰うことが恥ずかしいとお母さんが言っていたと言う。彼は父を亡くし6歳の頃から信愛塾に通って来ている。多くの家族が物価高の日々、節約をして慎ましく生活をしている。先の見通せない不安の中、節約は日常的。外食はせず、子ども達の髪は自分が切り、母達もここ数年は美容院には行っていないと言う。そんな子ども達や母達と信愛塾はともに歩きたい。どうか信愛塾への応援を引き続きお願いいたします。