会報誌「ともに」横浜だより

25.9.5 No.84

「満州事変」に至る道 神奈川大学非常勤講師 谷川 雄一郎

先の参院選で「日本人ファースト」を掲げる参政党が大きく議席を増やしたことに一抹の不安を感じた方も少なからずいるであろう。同党は排外主義を掲げていないと標榜してはいるが、党代表の神谷宗幣氏は「いい仕事につけなかった外国人が逃げ出して、万引きなど大きな犯罪が生まれ、治安が悪くなる」と発言するなど、党の方針の根底には外国籍の市民に対する偏見が横たわっている。そしてそのようなスタンスは、恣意的な歴史解釈と親和性が極めて高い。

 神谷氏の歴史についての発言には事実誤認が含まれているものが複数存在する。例えば623日の街頭演説で、氏は以下のように述べている。「(日本は)中国大陸の土地なんか求めてないわけですよ。日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそです。違います」。

日本が中国大陸の土地を「求めてない」というのは事実と異なる。1915年、日本は袁世凱政権に「21か条要求」を突きつけ、日露戦争で得た「満州」における権益の拡大をもくろむ「南満東蒙条約」を締結させたのである。同条約は第2条に「日本国臣民は南満洲に於て各種商工業上の建物を建設する為又は農業を経営する為必要なる土地を商租することを得」、第 3条に「日本国臣民は南満洲に於て自由に居住往来し各種の商工業其の他の業務に従事することを得」とあり、これにより日本人が外国人居留地以外の地(いわゆる内地)に居住しながら土地を「商祖」すること(土地を借り受けること)が可能となった。日本は中国の土地を「求めていた」のである。

神谷氏にとって史実は大きな問題ではなく、威勢よく、もっともらしく聴衆に語ることによって一定数の支持者を得られればそれで充分なのかもしれない。だが、為政者による、このような事実と異なる歴史の語りを野放しにしてよいのか。これに感化された人々が、誤った歴史理解に基づき、自国優越、ないし他国蔑視の考え方をもってしまうとすれば、多文化共生社会の実現への大きな妨げとなるのではないか。このような社会状況に危うさを感じるのは筆者だけではないだろう。

かつて筆者が指導を受けたことがある山田朗明治大学教授は「真面目な歴史学者や地道なジャーナリズムの成果が、出版や教育を通じて一般化されておらず、歴史的事実を無視した極端な議論が『面白い』『新しい』と受け取られてしまう状態が広がってしまっている」と述べている(『毎日新聞』2025719日夕刊)。

 歴史研究の成果をいかに市民社会に還元するのかについては筆者も常々考えているところである。「特効薬」があるわけではない。しかし、このようなニューズレターや市民集会などを通じて、地道にではあるが、「否は否」の声をしっかり挙げ続けることが大切なのだろう。

さて、そのような問題意識から、筆者が書けることは何かを考えてみたところ、冒頭の「満州」における権益を拡大させた「南満東蒙条約」について思うところがあったので、書き記しておこうと思う。

そもそも日本はなぜ「満州」権益を拡大させようとしたのか。紙幅の都合上、詳述できないが、筆者の関心、すなわち日本の対外膨張の連続性という側面から考えたとき、欠かすことのできない視点は、朝鮮人移民の存在である。特に1910年の韓国併合と植民地政策の結果、土地を失った多くの朝鮮人農民や独立運動家が「満州」に渡っていった。農民は多くが本来外国人の居住できない「内地」に移住した。韓国併合の結果、朝鮮人は「日本臣民」とみなされたことから、中国の一部地方官憲は日本の勢力拡大を警戒し、彼らを排斥することもあった(もっとも、すべての中国官憲がこのようであったわけではない。独立運動には同情的ですらあった)。

「南満東蒙条約」には、このような状況を「解決」させる意図も内包されていた。これにより朝鮮人移民が「内地」に居住し、「商祖」により土地を利用する条約上の根拠ができた。ただし、同条約は第5条で次のように規定されていた。「〔前略〕日本国臣民は、例規により下付せられたる旅券を地方官に提出し登録を受け、又支那(ママ)国警察法令及び課税に服すべし」。つまり、内地在住の日本人(朝鮮人を含む)は中国の警察法令に従うとされたのである。ところが、日本がこの条文を遵守することはなかった。同じ第5条には「民刑訴訟は、日本国臣民被告たる場合には日本国領事館に於て〔中略〕之を審判し」とあることから、日本は「領事裁判権に伴う警察権」という解釈を引き出し、日本人・朝鮮人の「保護」、取り締まりを行う機関として「領事館警察」を「満州」各地に設立した。つまり日本は、日本人・朝鮮人の「満州」への自由な居住往来、及び土地商祖権と、治外法権とをワンセットのものとみなしていたのである。それは中国からすれば大きな主権侵害であった。

 1921年のワシントン会議において中国政府は領事館警察の存在を自国に対する主権侵害として批判するが、日本全権の埴原正直は「本問題の理論的方面を離れて考察するに日本住民の犯罪予防上、実際に頗る有益」であると弁明する。条約上の明確な根拠を欠きながらも日本政府が領事館警察を存置させる正当性を主張した背景には、「満州」で展開された朝鮮人による独立運動の取り締まりもかかわっているものと思われる。

 このように、1915年の「南満東蒙条約」は、「満州」に移住した朝鮮人に対する「保護」、取り締まり問題とも結びつきながら中国との対立を深めるものとなり、1931918日の「満州事変」に至るのである。

今日ノ本 vol.1 信愛塾スタッフ 大石 文雄

韓国市民社会がめざす“希望”~なぜ戒厳を阻止できたのか~

石坂浩一著  かもがわ出版(1,900円+税)

 昨年12月3日突如、尹錫悦(ユンソニョル)大統領によって戒厳令が敷かれたと聞いてニュースに釘付けになった。すぐ戒厳は市民や国会議員などの力によって阻止され、解除されたが、軍事独裁を打ち破る闘いであれだけの犠牲を払った韓国の民主化なのに何をいまさら戒厳なのか?と思った。ニュースを毎日見続けたが次々と起こる事件展開に追われた。国防長官や軍司令官の関与、弾劾判決・ユン大統領の罷免、大統領警護処での拘束劇、極右若者の裁判所への乱入、陰謀論、ユーチューバーによる扇動、ヘイトスピーチ、街を埋め尽くす弾劾を支持する市民、そして激論飛び交う大統領選。結果は李在明(イジェミョン)大統領の誕生である。僕の語学力では出てくる固有名詞と縮約語の多さでいつも消化不良の不完全燃焼が続いた。だから今の韓国をリアルタイムで伝えてくれる本が欲しかった。そこに登場したのが「韓国市民社会がめざす 希望」である。著者の石坂浩一さんは韓国・北朝鮮の研究者として著名だが信愛塾の理事でもある。本書は三部構成になっており第1部は民主化闘争以降の韓国現代史であり、第2部が戒厳宣布以後の動き、そして第3部が「新しい社会に出会う次の時代へのカギ」である。

 日本の植民地支配の結果でもあるが朝鮮半島は戦後すぐ南北に分断された。韓国では軍事政権が長く続いたが、政治腐敗などで危機を迎えるといつも「反共」が利用され民主化を求める人々を弾圧し続けた。戒厳令はいつもその手段として利用された。韓国民主化運動において厳しい弾圧の中でそれを耐え抜き運動を担ってきたのが「基層民衆」と言われる労働者、農民、都市貧民などで、それに学生なども加わって闘いは展開された。産業の発展とともに都市への人口の集中、公害問題なども発生し、環境運動などの市民運動も出てくる。軍事政権との激しい抗争の末、1987年盧泰愚(ノテウ)大統領による「民主化宣言」を勝ち取り、やがて金大中(キムテジュン)など民主化を闘ってきた人達の政権も実現する。

 ところが民主化宣言から何十年も経ったのに昨年12月の戒厳宣布である。検察出身の尹大統領ではあるが、政治にたけてなく、言論機関の抑圧、攻撃的な対北朝鮮政策、金建希(キムゴニ)夫人のスキャンダルもあり、不人気だった。与党の国民の力は国会議員選で大敗し過半数確保もできない少数与党である。こうした状況を打開しようと画策、準備したのが戒厳宣布だった。「国会が自由民主主義の基盤ではなく、憲政秩序を破壊する怪物になった」からだというのがその理由だ。

 日本のマスコミからは戒厳政局における「分断」や「分裂」が伝えられるが、著者は極右と進歩に分裂という描き方は実相にずれていると思われるという。広場に集まった人々も多くは政治と社会の安定や日常生活の回復を願っているのだという。韓国ではファン心理に支えられた政治の克服が指摘されているが日本でもSNSを通じて関心を引くことが多くなっている。では民主主義と人権確立をできる政治の在り方は何なのか?実は韓国の市民革命の場から多様性を保障する「広場」の政治が出てきているという。キーワードは「広場」なのだ。戒厳反対、大統領弾劾の局面の中で南泰嶺(ナムテリョン)の農民たちと都市生活者の交流が印象的だったという。弾劾要求をするために集会に参加しようと農民たちがトラクターデモを行いソウル市内に入ろうとしたが警察に阻止された。それをSNSで知ったソウル市民が阻止され動けなくなったところに集まり演台を作り自由発言集会が開かれた。性的少数者、フェミニスト、障がい者などがそれぞれの立場から農民に連帯したいと訴えた。こうしたナムテリョンの経験が広場としての集会の在り方を規定していったという。

弾劾罷免の結果、韓米同盟を主張しながら米国に偏った政策を取り続けたユン大統領から、盧武鉉(ノムヒョン)、文在寅(ムンジェイン)の北との緊張緩和策を受け継ぐ李在明に変わった。韓国女性たちの目覚ましい抵抗運動の背景にある深刻な不平等や差別、それをなくしていくための差別禁止法制定への期待なども含め韓国は今、急速な流れの中にある。このような流れの先に見えるのがこの本の題名でもある“希望”なのかもしれない。日本も韓国市民社会から学ぶことは多いと思う。

※果川(クァチョン)市からソウル市に入る境界にあたる南部の峠で、南からソウルに入る時の重要地点。首都防衛司令部、合同参謀本部などがある。

ある日の相談室 信愛塾センター長 竹川 真理子

炎暑、猛暑の中でも相談は絶えない。信愛塾まで来てもらうのは熱中症が心配なので8月からOnlineでの相談も開始している。一昨年から、在日外国人高齢女性からの相談が増えつつある。ある彼女は在日歴30年以上になる。日本人夫は既に亡くなり、独居老人として一人暮らし、足腰も痛く目や耳も悪い、寂しくて心も重いと言う。そんな彼女の話をいっぱい聞いた。若い頃から仕事一筋、夫ともそこで知り合い結婚したこと、何をするにも夫に相談して仲良く老後を過ごしたいと思っていた矢先に彼に先立たれとても寂しいと。彼女のように一人暮らしや家族がいても孤立し心を病んでしまう女性からの相談が増加傾向にある。

同胞コミュニティからも離れてひっそりと孤独の中で生活している女性達もいる。10代後半から20代のごろ来日し母国に送金し、家族も養い身体を壊すまで働き続け頑張って来た女性達。日本で家族を形成し1世の彼女達も今では3世の孫の時代になりたくさんの経験を積んできた。

日本人男性と結婚し子ども達を出産、家庭を築くも夫からの差別的態度や嫌がらせ、DV等で離婚せざるを得ない外国人女性達もたくさんいる。子どもの親権をめぐり裁判になっているケース。この物価高の中節約をしながら我慢して日常を繋いでいる母子達。「たけちゃん先生助けて欲しいのよ!」「いま、寂しくて消えてしまいそう」と言う声も寄せられている「今なの!」と心の中で叫びながら日々を流されていく母子がいる。今、私達を助けて欲しい‥現場はいつも「今」をどうするかが問われている。

世間ではここ23ヶ月特定の人々による仰々しい声が聞こえて来る。「日本人ファースト」に違和感を感じる人は多いだろう、居心地の悪さも体験するだろう、しかし私達は黙ってはいられない。そう叫ぶ人達は在日外国人やルーツを持つ人達がどんな思いを描き生活をし仕事をして、子育てをしているのか知っているのだろうか。地域住民として町内会や子ども達の学校行事も率先して活躍して来た。母達や子ども達の声なき声を聞いて欲しい。人種も属性も関係なく私達は独立したひとりの人間なのだから。信愛塾では46年前から相手を排除するのではなく包み込む社会を目指して来た。「共生する」と言う言葉にもう一度息を吹き込んで行きたい。誰かを排除したり国籍や属性で順番をつけるのは間違っている。

編集後記 信愛塾スタッフ 王 遠偉

 長い夏休みが終わり、子ども達はとりあえず無事に夏休みを過ごすことが出来ました。夏休み期間中に一時帰国した子もいれば、部活や全国大会に励んでいる子もいます。また、家に篭ってゲームに没頭する日々の子もいます。「学校行きたくない」と言いながらも、ちゃんと登校をしています。今のところは一安心です。

 9月から学校が始まり、給食も始まりました。信愛塾のある近隣小中学校では既に新しく来日した児童生徒が転入しています。全く日本語がわからない中、彼らは学校生活に臨みます。彼らが少しでも早く学校生活に慣れるように、信愛塾として近隣小中学校と連携しながらやっていきたいと思います。